2010年11月11日木曜日

仰天! 龍神パヤーナークの足跡 車の後ろに現る

ソース
ฮือฮา รอยพญานาค โผล่หลังรถ
http://www.thairath.co.th/content/region/126257 キャッシュ

村人が大騒ぎ。蛇が這い回ったような奇妙な痕跡が自動車のトランクに現る。龍神パヤーナークの足跡と信じ、行列をつくって拝み、幸運を祈願する村人…

仏教徒の信仰心に訴えかけるような今回の出来事が起きたのは、11月11日、ナコンパノム県プラーパーク区に住む村人たちのあいだに噂が流れ、蛇が這い回ったような奇妙な足跡が、サリット・ウィセートゲーオさん(50歳・男性)の自動車の屋根に現れたという。彼は恐れ多くて運転する気がしないため、村にある寺の中に自動車を入れたままにしており、知らせを聞いた村人たちが協力して花と線香、蝋燭を立て、床に絹布を敷き、拝み礼拝している。村人たちは龍神パヤーナークが現れて足跡を残して見せてくれたものだと信じており、タイの東北地方で伝えられている幸運の知らせだと考えている。龍神パヤーナークの足跡を撮った写真を保存し、幸運を願う人もいた。

上に述べた、蛇が這ったようで重なり合った鱗のある痕跡の長さは約40cmで、ナコンパノム県のナンバーを付けた、日産製ビックM型ピックアップトラックの屋根の上に残っていた。

自動車の持ち主の親族、オーカート・ピムラートさん(33歳・男性)によれば、この事件が起きる前、サリット・ウィセートゲーオさん(50歳・男性)が上記のトラックを駐車していた場所は、自身が経営する食堂の付近で、プラーパーク区立病院の近所である。ちょうどトラックの下に亀がいるのを見つけたため、放してあげようと思い捕まえてから振り返って運転席の屋根を見たところ、鱗の重なった蛇が這ったような奇妙な足跡があったため、とても驚き興奮した。わざわざ自分で作るのは難しすぎると思うし、自動車から降りた足跡がないので、他の動物や普通の蛇だとは思えない。とても自動車に乗る気になれないので、タイの東北地方の信仰に従って、まず読経の儀式をしてもらうことにした。

村人たちがパヤーナークの足跡と信じている痕跡と一緒に現れた亀については、村人は足跡と対になる出来事だと見做しており、礼拝の儀式が終わったあとで放してあげる予定。今回起きた出来事は奇跡だと信じられていることも重要な点である。その理由は、11月13日にプラーパーク区立病院において初の御下賜によるカティンの儀式が予定されているためで、病院の近くの池に住む龍神パヤーナークが奇跡的に現れたと信じられている。いずれにせよ、村人たちはプラーパーク区にとって幸運の知らせだと信じている。

村人のシーフォーン・アシカンさん(64歳・女性)は、これと同じようなものを以前にナコンパノム県の大きなお寺で見たことがあり、龍神パヤーナークの足跡だと信じている。村人が儀式を行ない拝もうとしている今回の件は、言い伝えの通り村に幸運をもたらしてくれる。メコン川の流域に住む人達は、龍神パヤーナークの話を信仰し、崇拝している。誰がなんて言おうとも、今回起きたことは吉兆で、村人に幸運をもたらしてくれるだろう、と語った。

2010年11月2日火曜日

ココナツムシが飼料から一転、特別メニューに

(市場で売られる食用昆虫 - wikipedia より)

ソース
ด้วงงวงมะพร้าวหรือด้วงสาคู จากอาหารสัตว์เป็นสุดยอดเมนูเปิบคน

ヤシキクイムシ、南部では別名ココナツムシ

「ヤシキクイムシ」(Pin-hole borers)はタイ南部に広く分布しており、ココナツの樹を住処にしている。そのため地元の人々はこれを「ココナツムシ」と呼び、かつては飼料代を節約するために、これを家禽のエサにしていた。

しかし、ココナツムシの体には大量の蛋白質が含まれていることが知られるようになると、ムシ食う人びとは手のひらを返して興味を示すようになった。いつもバンコクや他県の街角で見かけるムシ売りの屋台では、竹虫や蜂の子が売られており、そのムシの売買価格はキロ当たり250バーツになる。

農業振興局アート・インタラック局長によると、この事業は養蜂家や養虫家がそれほど多くない元手で始めることができるため、農業振興局やその関係機関は、興味のある農家に対し、ムシを養殖し収入を得ることを勧めている。この種のムシは天然のココナツや椰子の木に住み着いているが、飼育してムシの屋台に販売すれば、収入を得ることができる。

屋内で飼育を始めてわかったことは、ムシがなによりも好んで食べて早く成長するエサは、ココナツの繊維、ココナツの実の細切れ、米ヌカ、キャッサバを1:1:1で混ぜたものということだった。オス1匹に対しメスを10匹入れて、一緒に過ごして10日ほどたつとメスは卵を産み、さらに2~3日経てば卵は孵化して幼虫が生まれる。それから1~2ヶ月が過ぎると新人たちは丸々と太るので、適当な奴を選んで売り飛ばせば良い。

一族郎党を繁栄させるためにオスとメスを選ぶなら、そこからさらに140日間、飼育を続けたほうが良い。そこまで育てると成長は止まり、オスの外見はメスにそっくりになる。ムシの上側にある体毛の先端近くはオス・メスともに色が付き、背中には色々な模様が出てくる。両脇には端から端まで一直線のくぼみができて、頭から尻尾までの長さは25~28mmになる。

5~6ヶ月ほど繁殖を続けるとこの親虫は死んでしまうので、その日が来るまでせっせと働いてもらってください。

ご興味がある方、詳細をお知りになりたい方は 0-2940-6102 まで、官公庁の就業時間内にお問い合わせ下さい。

2010年10月24日日曜日

オオナマズがダムから脱走 捕まえて売って大儲け

(メコンオオナマズ: wikipedia より)

ソース
ปลาบึกนับร้อย ตกสันเขื่อน จับขายรวยเละ
http://www.thairath.co.th/content/region/121366

ラムタコーンダムの水が溢れ、オオナマズ数百匹が岩に激突。ナコーンラーチャシーマー県クローンパイ区の住民が捕まえて売り払い大儲け、数万バーツの収入に。洪水の苦あれば楽あり・・・

ナコーンラーチャシーマー県シーキウ郡クローンパイ区にあるラムタコーンダムでは、低地への放水を続けることによって、ダムの下流に住む市民への被害が拡大することを恐れ、ダムからの放流量を減らしている。そのためダムの貯水が溢れ、堤防から下にある放水路へと流れ落ちた。堤防の高さは10メートル以上あり、堤防を越えて流れ落ちる水と一緒に、いろいろな魚が飛び降りてきた。その中にはオオナマズが数百匹ほど含まれており、地面にある岩に激突した魚はぐったりとしたまま流れていく。

ダムの堤防から魚が降ってくるとの知らせは瞬く間に広がり、クローンパイ区周辺の村人が喜び勇んでダムの下流付近に流れてくる魚を掴み取りはじめた。ある者は魚網を持って土手にある木に網を結び、重さ15kgから30kgもある大ナマズを50~60匹ほど捕まえた。魚はダムの横に車を停めて待っている商人たちが買い取られる。商人たちはこの地方でオオナマズを扱っている人たちで、クローンパイ友好市場に持って行き、キロ当たり80~100バーツで売りさばく。ある家族はたった一日で数万バーツの収入を得た。

この事件が伝えられたのは10月24日13時半、ナコーンラーチャシーマー県シーキウ郡コラート市の記者にクローンパイ署のウタイ・シーストー警察少佐から連絡があり、オオナマズ数百匹がラムタコーンダムの堤防から溢れ出し、地面の岩に叩きつけられて力尽き、川の流れに身を任せていると伝えられた。真偽を確かめるために記者がクローンパイ区のラムタコーンダムに向かったところ、ラムタコーンダムの放水口の下流にある放水路で、男女入り交じった村人たちが魚網を持って、網を川岸にある木に結び、速い流れに乗って流れていくさまざまな種類の魚を捕まえようとしていた。

とある村人は重さ10kgから80kgあるオオナマズをたくさん捕まえることができた。ほとんどの魚は表面にひっかき傷が付いていたがまだ生きており、魚を水から引き揚げるとすぐに待ち構えていた商人にキロ当たり60~80バーツで買い取られた。そのあと、傷のない魚は高値を付ける仲買人に転売され、ひっかき傷のある魚はキロ当たり100バーツの値が付けられ道端で売られる。道路を通りがかった人が車を停めて買っていくので、道端は小さな市場のように賑わっていた。

シーキウ郡クローンパイ区に住むパデット・シーホントーンさん(27歳)は、今朝未明に友達が駆け込んできて、ラムタコーンダムの放水口に魚がたくさん落ちてる、高さ10mの堤防から溢れた魚が地面にぶつかって、ラムタコーン川に流れていると言うので、急いで車に乗って見に行ったところ、本当にその通りだった。すぐに引き返し、魚を捕まえるワナに似た、極太の縄で編まれた網を持って行き、両岸の木に結んで網を広げ、浮かびながら流れてきた魚を捕まえた。今日は友達と一緒に中型のオオナマズを60匹ほど捕まえ、すぐに商人がキロ当たり60バーツで丸ごと現金で買いあげてくれたので、友達と10万バーツを山分けした、と語った。

クローンパイ区に住むアナンタチャイ・ブンマールートさん(30歳)は、自分はラムタコーン発電所に勤めて数年になるが、ダムの水が堤防を溢れたり、こんなに大量の魚が流れでたことは今までにない。ダムから魚が溢れるのを見て、友達を誘って網を張り、重さ10kgのオオナマズを40匹以上捕まえて商人にキロ当たり60バーツで売ったところ、数カ月分の給料分を稼いだと語った。

魚を買い取って道路脇で売っているブンチュアン・チャンタースーンヌーンさん(50歳)によると、自分は普段はシーキウ市場で野菜を売っているが、ラムタコーン川にオオナマズが流れているとの知らせを聞いて、村人から魚を買おうとやって来た。もう100匹以上のオオナマズを買い取って、小売りをしたり、仲買人に転売したりした。一番大きかったのは重さ80kgだけども、村人のティアさんが137kgのオオナマズを捕まえて、クレーン車を使って水路から持ち上げたそうだ。今回、ラムタコーンダムから大量のオオナマズが溢れでたのは、村人にとってとてもありがたいこと。魚を売って数万バーツの収入を得られて、運がいい人は10万バーツの大金を得た。家が洪水に遭って大変だったけど、苦あれば楽あり、人生捨てたもんじゃないですよ、と語った。

2010年10月23日土曜日

バンファイ・パヤーナーク

ソース
บั้งไฟพญานาค - จากวิกิพีเดีย สารานุกรมเสรี - wikipedia

バンファイ・パヤーナーク メコン川の流れから飛び出す火の玉

バンファイ・パヤーナーク(บั้งไฟพญานาค)はいまだ明確に説明されていない自然現象である。外見はピンク色をした火の玉で、臭いや煙はなく、音もしない。メコン川の流れの上空高さ1-30mに現れ、そこから高度50-150mまで上昇し、そのあいだにかかる時間は5-10秒程度である。この現象が起きるのは1年に1度、出安居の日だけで、この日はラオス旧暦11月ืの満月の日であり、タイの陰暦では11月の満月の日もしくはその翌日にあたる。各年3-7日間にわたって見ることができる。

毎年、バンファイ・パヤーナークの90%以上は、ノーンカーイ県タイ寺前、ラッタナワーピー郡ナムペー村、ブンカーン郡アーホン寺、サンコム郡ヒンマークペーン寺とアーンプラーブックに現れる。

バンファイ・パヤーナークを研究している複数のチームが、この現象を科学的に説明しようとしている。例えば、メタン・窒素ガスによるもの、水面下にある動植物の死骸が分解され発生したリンによるもの、といった説である。

タイだけでなく、地球上の他国においても同様な現象が起きている。例えばアメリカ合衆国ミズーリ州とテキサス洲におけるマーファ・ライトや、その他にもサウジアラビアの紅海近くにあるジェッダ市でも似たような現象がある。

2010年10月8日金曜日

俳優ミット・チャイバンチャーの事故死


ソース
มิตร ชัยบัญชา - การเสียชีวิต

1970年、ミットは「インシーデーン」(อินทรีแดง)の6回目の映画化となる「インシートーン」の撮影に、監督兼主演俳優として参加した。ミット演じるローム・リッティクライことインシーデーンが、カチット・クワンプラチャー演じる偽インシーデーンの調査に乗り出すという筋書きで、他にも役者のペッチャラー・チャオワラートとワートサナーが参加していた。

1970年10月8日、チョンブリー県南パタヤにあるドンターン浜でラストシーンの撮影が行われるまでは、撮影は順調に進んでいた。インシーデーンが悪者を退治したあと、悪者のアジトを取り込んだ警官から逃げるため、ワートサナーが操縦するヘリコプターから垂らされた縄ばしごに掴まり、カメラはインシーデーンを連れたヘリコプターが飛び去る姿を撮影する予定だった。


本物らしく見せるため、また代役が着る衣装の準備が整ってなかったため、ミットは綿密に決められた撮影手順に従って、自分自身がこの場面を演じることに同意した。しかしミットは技術的な問題、すなわち撮影中は上昇する機体に振動が発生するということを知らなかったと思われる。ミットは縄ばしごに足を掛けることができず、はしごにぶら下がったままとなり、ヘリはカメラの前を通過した後も降下しなかった。ミットは両足の裏を合わせ打ち鳴らして知らせようとしたが、操縦士は異常にも地上からの知らせにも気が付かないまま高く上昇し、機体を反転させ強い力で振り回したため、ミットはぶら下がり続けることが出来ずにヘリコプターから落下、90mの高さから地面に激突した[9]。彼は上記のヘリコプターで5分以内にシーラーチャー病院へ搬送されたが、すでに手遅れだった。検死の結果によれば、怪我は体のあらゆる部分に及んでおり、ほぼ即死の状態で、手首には深さ2cm長さ8cmの紐による外傷、右あご骨を骨折、右頬骨を骨折、右耳から出血、右肋骨5本を骨折、右大腿骨を骨折、上腕骨を骨折、死亡時刻は16時13分頃であった[17]。

1970年10月9日、タイのあらゆる新聞が一面で彼の死を伝え、その知らせは日本や香港、台湾まで届いた。彼の死が報じられると、彼の財産の大部分は3軒の家から運び出され、死に水を取るときに着せる服が一着もなかった[19]。


ミット・チャイバンチャーの遺体はケーナーンルーン寺に安置され、死後100日が経った1970年10月21日に荼毘に付され、式には数万人の人々が押し寄せた。火葬はケーナーンルーン寺からテープシリン寺に場所を移して行われ、参列した人々は30万人を数えた。ククリット・プラモートはこの式の様子を、いままで行われた一般人の葬式で最も参列者が多かった式、と述べている[3]。

2010年10月6日水曜日

エアポートリンクに不備多数 苦情殺到

ソース
แห่ร้องเรียนแอร์พอร์ตลิงก์ จุดบอดเพียบ
http://www.thairath.co.th/content/region/116615

施設の不備が多数あり、利用者を混乱させているとの苦情を受け、運輸省がエアポートリンクのサービスの緊急調査へ。

ソーイティップ・トライスット運輸省長官によれば、エアポートリンクの利用客からマスコミに対し、駅でのサービスの悪さを訴える苦情が寄せられている。運輸省では、公共輸送システムの安全を管理監督する部署から係官を派遣し、苦情があった場所へ調査を行ったところ、行き先の表示板や、危険を知らせる表示板など、看板表示が少な過ぎるため、利用者を混乱させていることがわかった。例えばラーチャプラロップ駅とパヤータイ駅の下にあるUターン道路では、道幅が狭すぎるために乗客を送迎する自動車が通りづらく、また他の公共交通機関への乗り換えや駐車場にも問題がある。

ソーイティップ長官によれば、これ以外にも駅の昇降に問題があり、駅へ登るときはエスカレーターがあるが、下りは階段しか設置されておらず、旅行用トランクを持った利用者はカバンを持ち上げて降りなければならず、不便であるといったことが挙げられている。今月中にできあがる調査報告を待って、交通省に問題の改善を求めていく方針。

2010年10月5日火曜日

夢に導かれて地面を掘ると アユタヤ時代の短刀が

(タークシン大王の像)

ソース
ขุดตามความฝัน พบกริชโบราณ สมัยพระเจ้าตาก
http://www.thairath.co.th/content/region/116569 キャッシュ

カオクンパノム寺(วัดเขาขุนพนม)の住職が二晩続けて奇妙な夢を見た。「タークシン王」と将軍に会い、洞窟に埋もれた武具を掘り起こすよう命じられる。夢の意味を寺の重鎮に相談し、地面を掘り起こしたところ、古代の美しい短刀を発見した。

10月5日、本紙記者は地元住民から、その日の昼前に、ナコーンシータマラート県プロムキリー郡バーンコ区3番にあるカオクンパノム寺で、歴史的価値のある古代の短刀が発掘されたとの知らせを受け、取材のために現場へ赴いた。

この寺はクンパノム山の麓にある。寺の僧が記者に語った話によれば、古い短刀を掘り起こしたのは、この寺の住職である。その住職は、寺にいる僧と付近の住民を引き連れクンパノム山を登り、寺から約200m離れた場所にある洞窟を訪れ、短刀を祀る儀式を行った。

そこで記者がその場所へ向かったところ、断崖の近くにある岩を登った先にある大きな洞窟を見つけた。洞窟にはロープを使って降りなければならず、内部は真っ暗だったが、80mほど歩くと僧侶と村人がお経を唱えている広い場所に出た。松明に照らされた内部を見ると、この洞窟内部はとても広い場所で、およそ千人が入ることができると思われる。洞窟には大きな仏像が安置され、儀式の前方では2本の短刀が白い布の上に供えられていた。

住職ピヤクナーターン指導僧(40歳)は上記の短刀を持ってきて記者に見せてくれた。長さ30cmはあると思われる長めの短刀で、青銅が混ざった黒い金属でできており、その刃には古代の文字で銘が切ってあり、柄は龍神パヤナークの姿をしている。ピヤクナーターン指導僧によれば、この短刀を見つける前に、タークシン王と古代の鎧を来た将軍たちが夢に現れた。彼らは僧の周囲を取り囲むように立ち並び、洞窟に埋められた古代の王剣を掘り出して、すでに見つかっているもう1本と一緒に、寺の保管所に入れてほしいと僧に頼んだ。

「夢の中で王は仰った。洞窟の真ん中を鍬で28回掘るのだ。さすれば200年間土の下で眠っていた王の短刀一対が見つかるであろう。王はこの洞窟に現れ、王と将軍を祀るよう頼まれ、その後拙僧の身体は何回も炎に包まれた」

ピヤクナーターン指導僧はさらに以下のように語った。次の夜もまた同じ夢を見てからは、眼を閉じて眠ることができなかった。一晩中僧衣が燃えているように熱く感じられ、何回も僧坊から出て水浴びをしても熱は消えそうになかった。夜明けを待って寺の僧たちに夢で見たことを語ったところ、寺の重鎮たちの知るところとなり、洞窟の中央部、石灰石が混じった地面を掘り返すことが決まった。鍬で28回掘り下げたとき、夢と同じように短剣が発見されたことは驚くべきことだ。短剣を見つけたあとで供養の儀式を行ない、タクシーン大王とその将軍たちを供養した。

カオクンパノム寺の住職は続けた。普通であれば一部の新米僧たちのように迷信や秘術の類は信じない。政治学の学士号を取得しており、コンピューターと最新技術を様々な場所で学んでいる。秘術や呪術を信じたことは一度もない。以前はナコーンシータマラート県代表を務めていた、ワット・マハータート寺住職、テープウィンヤーポーン僧の秘書助手をしていた。こんなことが起こるとは夢にも思わなかった。芸術局の担当係官に連絡して、発見した短刀を調査し、この短剣がいつの時代に作られた物なのか、どんな経緯でここに来たのか、専門家に鑑定してもらうつもりだ。しかし短剣の刃に刻まれた文字は古代スリランカ文字のように見える。

一方、ナコーンシータマラート県プロムキリ郡バーンコ区在住で寺委員も勤めるカオクンパノム地区の住民クローム・ポンパン翁(94歳)が記者に語った話によれば、生まれた時からここに住んでおり、子供の頃は寺やクンパノム山を走り回っていた。当時祖父母や父母からは、タークシン大王が亡くなった場所は、首都ではなくクンパノム山の頂上にある洞窟の中だと聞かされていた。その証拠となる食器や宝石、価値ある古美術品多数が寺、洞窟、そして近隣の山にも多く残っているため、調査をすることができる。成長してからは歴史を学び、学んできたタークシン大王が死後に残した品々と、自分の目で見た品々や、先祖代々伝承されてきた話、そして証拠の品々などをいろいろ比較してみたが、いささか違っているように思われる。自分やナコーンシータマラートに住む人々の多くは、大王はこの地で崩御され、このナコーンシータマラートと南部十二支地区の支配者の先祖となり、そこから多数の子孫が繁栄したものと信じている。

続いて、シンブリー県バーンラチャン郡チューンクラット区出身で、現在は寺の門下生となっているニティットポン(またはファーサイ)・ルークソーピー氏(46歳)が、寺や洞窟や山の中にある証拠の数々を記者に見せてくれた。寺に入るときは東側から245段の階段を上がらなければならず、その両側にはずっと龍神パヤナークの彫像が途切れることなく続いている。非常に古びた東屋の少し手前に来ると、タークシン大王が仏門に入ったのはこの東屋だと言われており、この近くにあるもうひとつの東屋で大王が瞑想をしたと信じられている、とニティットポン氏は語った。

この他にも記者は、ナコーンシータマラート県チアヤイ郡カオプラバート区出身の、デーン・アパイロート比丘尼(80歳)と会った。比丘尼はナコーンシータマラートやその他の地に住む家族と一緒にタークシン大王を拝むため、この地で20年以上も出家生活を送っており、この地は大王が最後の時を過ごした場所だと信じている。寺とその周辺には修行をしている者が多く住んでおり、その殆んど全てがタークシン大王を拝み奉っている。

2010年9月29日水曜日

アユタヤ地方裁判所 麻薬所持の日本人男性を保釈

(タイ王国麻薬取締警察のサイトにあるヤーアイスの写真)

ソース
ศาลอยุธยา ให้ประกันตัว หนุ่มยุ่นพกยาไอช์
http://breakingnews.nationchannel.com/read.php?newsid=471345

9月29日10時30分、この事件に関して進展があり、プラインラーチャー署の捜査官はコージ容疑者の身柄をアユタヤ県地方裁判所に移送し、麻薬ヤーアイス所持の罪状で起訴するため、捜査期間中の身柄を勾留したが、容疑者は保釈金5万バーツを支払い保釈され、10月11日に再度裁判所に出頭することになった。裁判所は捜査の結果を待ち、捜査により発見される麻薬の量によって懲役刑か罰金刑を検討する予定。

容疑者を逮捕したスープサック・ピンセーン警察中佐によれば、コージ容疑者の麻薬の使用歴は長く、日本人の知人と一緒に麻薬を使用することを習慣にしていた。コージ容疑者はサラブリ県の売人から使用目的で麻薬を購入しており、麻薬所持の容疑で取り調べを行っているが、捜索により使用目的の量を超える麻薬が発見されれば、販売目的で所持していた容疑が追加される可能性がある。また日本のテレビ局でもコージ容疑者の逮捕を大々的に報道しており、容疑者が日本の親会社から停職処分を受けたことを伝えている。さらに容疑者は麻薬のブラックリストに名を連ねていた。

2010年9月28日火曜日

パープルライン建設のため、日本からタイへ86億9500万バーツの供与

ソース
ไทยกู้เจบิก 8,695 ล.ลงทุนรถไฟฟ้าสีม่วง
http://breakingnews.nationchannel.com/read.php?newsid=471158

プラディット・パタラプラシット副財務相によると、タイ財務省はタイ政府と日本政府の相互協力及び借款契約に調印した。借款は国際協力銀行(JBIC)を通じ、2つの経済的・社会的プロジェクトに総額約86億9500万バーツが投資される。

ノンタブリー県道1号線周辺でチャオプラヤー川を渡る橋の建設計画には、優遇条件による借款が提供され、第1期の建設費用の利子は年率0.95%、返済期間は20年で、最初6年間は返済を猶予される。

タイ国鉄による近郊電車パープルライン計画(バーンヤイ-バーンスー間)の第2期工事に対しては、利子は年率1.4%、返済期間は25年で、最初の7年間は返済を猶予される。この借款については、コンサルタント料の利子は年率0.01%となっており、その割合は借款未払い分の0.1%に制限される。資材購入とサービスの条件は自由となっているため、世界各国から国際競争を経た価格で資材購入やサービスを受けることができる。

日系企業役員をヤーアイス所持で逮捕

(タイ王国麻薬取締警察のサイトにあるヤーアイスの写真)

ソース
จับกก.บริษัทญี่ปุ่นพกยาไอซ์
http://breakingnews.nationchannel.com/read.php?newsid=471149

アユタヤ県バーンパイン郡プラインラーチャー署刑事スープサック・ピンセーン警察中佐は、麻薬ヤーアイスが所轄内に運ばれてくるとの情報に基づき、バーンパイン郡チエンラークノーイ区を通るアジア幹線道路上り線脇の建設現場付近に検問を設置したところ、情報通りバンコクナンバーを付けた黒のトヨタ・カムリが通ったため車内を捜索した。

運転していたのはアユタヤ県ハイテック工場団地にあるチヨダ・インテグレ(タイランド)で運転手を勤めているロッブリー県在住の33歳のタイ人男性、またチヨダ・インテグレ(タイランド)の役員である日本人男性コージ・キロセ(46歳)が後部座席に座っており、黒い革カバンをしっかりと抱えていた。捜査官が調べたところ、カバンの中にはもうひとつ小さなカバンが隠されており、その中から麻薬ヤーアイス0.57グラムと器具が見つかったため、身柄を確保しプラインラーチャー署へ連行した。

取調べによればコージ・キロセ容疑者はサラブリー県のエージェントから麻薬ヤーアイスを一回あたり2-3万バーツ購入し、日本人の同僚に転売、一緒に使用していた。警察ではまず麻薬の所持で起訴し、取調べでさらなる証拠が見つかれば、追って他の容疑でも起訴する方針。

2010年9月14日火曜日

唐辛子の伝来史


ソース
ประวัติความเป็นมาของพริก

タイでは唐辛子の栽培法が知られており、その食べ方についても、生のままだったり、乾燥や発酵させたり、炒め物やスープなど、幾通りもの方法を知られている。一般的に唐辛子は2つの種類に分けられ、小粒庭唐辛子やタイ小粒唐辛子、黄色唐辛子といったとても辛い種類と、ピーマンや大唐辛子などのあまり辛くない種類がある。

普段からあまりにも唐辛子に慣れすぎているため、唐辛子はタイ原産の食べ物だと勘違いしてしまうかもしれない。しかし植物歴史学者によると、唐辛子の原産地は中南米であり、探検家が唐辛子をヨーロッパに持ち込み、そこから世界中へと広まっていった。

考古学の調査によると、メキシコ先住民は9,000年前から唐辛子を食用にしていた。その証拠として、ワカ・プリエタという土地で発掘された大便の化石の中から、約9,000年前の唐辛子の種が見つかっている。オルメック人、トルメック人、アステカ人といった人々の生活様式を研究した結果、これら先住民族は唐辛子を栽培し、食用にしていたことがわかっている。この他にも、歴史学者はペルー近辺で2,000年以上古い唐辛子の木を発掘しており、それ以外にも、1,900年前にペルーに住んでいた先住民の服の刺繍には、唐辛子の木の模様がある。

歴史学者ピーター・マーターは1493年の記録で、コロンブスがアメリカから持ち帰った赤唐辛子は味が辛い、と書いている。1494年、コロンブスの第2回目の航海に同行した医師は、アメリカ先住民は唐辛子を使った料理を好むと記している。スペイン軍がアステカ王国を侵略した際、コルテスは手紙に、アステカ王は唐辛子を混ぜた食事を召し上がる、と書いている。

唐辛子の最大の特徴は辛い味だ。先住民はこの強力な力を捕虜や敵を苦しめるために用いた。大量の唐辛子を燃やし、スペイン軍に向けて唐辛子の煙を浴びせて苦しめた。マヤ族には風習があり、マヤ族の女性が隠れて男性を見ていた場合は目に唐辛子を擦りつけ、娘が伝統に反し貞操を失ったことを父母が知ったときは「秘所」に唐辛子を塗った。アンティルにいた先住民のカリブ族は男の子が怪我をしたとき、傷に唐辛子を塗って忍耐心を鍛えた。またこの部族は捕虜を得ると火の付いた棒で突ついて火傷を負わせて唐辛子を塗り、捕虜が力尽きるとその肉を薄く削ぎ唐辛子で味付けし食料にした。

スペイン王フィリップ2世の侍医だった歴史学者フランシスコ・ヘルナンデスは、植物と動物の自然を調査するために新大陸(アメリカ)へと送られ、その報告の中で先住民は唐辛子の栽培を非常に好むと述べている。15世紀から16世紀にかけ、50年間にわたってアメリカ大陸を研究したベルナベ・コボは、メキシコ先住民にも同じく唐辛子を栽培する習慣があると述べている。彼の著作「ヒストリア」によると、先住民は唐辛子をトウモロコシに次ぐ大事な植物とみなしており、唐辛子を生食し、神を祀る全ての儀式で唐辛子を用いた。しかし断食の時期になるとこの先住民は唐辛子を含んだ食べ物を全く口にしなかった。さらにコボの記録によると、唐辛子の実だけに限らず唐辛子の葉も食用になるという。スペイン貴族の子孫ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガによると、先住民は唐辛子を非常に価値のある果物と考えており、インカの料理には多少なりとも唐辛子が入っている。また先住民の医者は、適量の唐辛子を摂った者は胃腸の具合が正常だが、大量に摂りすぎると危険な状態になると考えていた。ドイツ人学者アレクサンダー・フォン・フンボルトもまたアメリカ大陸に渡り長期間の研究を行った一人であり、ヨーロッパ人が塩を生命に不可欠な存在とみなすのに対し、先住民はそれと同様に唐辛子を重視していると比べている。

唐辛子がアメリカ大陸から海外へ広がった歴史を調べると、1493年に初めて唐辛子を自国へ持ち帰ったスペイン人、アルバレス・チャンカに行き当たる。南アメリカで唐辛子が栽培されていた国の名前がチリだったことから、スペイン人は唐辛子をチリと呼ぶようになった。それから55年後には英国人も唐辛子を知るようになり、1555年にはヨーロッパ全域で唐辛子の栽培が始まった。1750年頃、ポルトガル人によって唐辛子はインドと東南アジアへと広がっていく。

生物学者によれば、唐辛子はナスやタバコと同じナス科に分類される。唐辛子の学名は Capsicum annum で、語源は腐食させるという意味の Kapto である。しかし一部の言語学者は本来の語根は箱を意味する Caspa であると主張しており、何が元になったかの意見は分かれている。いずれにせよ唐辛子が辛いことは誰もが認めるところで、マヤ人は唐辛子を口から息を吸うという意味の Huuyub と呼んでいた。薬学師による唐辛子の研究では、唐辛子を口に入れると、過去に医師がさまざまな病気の治療に、唐辛子を使用したかどうかがわかるそうだ。

(後略)

2010年8月27日金曜日

中国が高速鉄道へ資本投下、運輸省が話し合いへ前進


ソース
คมนาคมเดินหน้าเจรจาจีนลงทุนไฮสปีดเทรน
www.thairath.co.th/content/eco/106745 キャッシュ

中国が高速鉄道へ出資、運輸大臣が話し合いへ前進。まずはバンコク-ノーンカーイ線とラヨーン-バンコク線から?

先週始めに中国の北京と昆明を訪問して帰国したソーポン・サーラム運輸大臣は、中国はタイの鉄道、特に高速鉄道計画への出資に関心を持っているとの表明を受け、友好関係を進展させるため、タイと中国を結ぶ鉄道の開発を発表した。

運輸大臣は中国鉄道局長と面談、意見交換を行ない、2008年に開業した北京・天津間を結ぶ高速鉄道を訪問した。運輸大臣によれば、中国国内での鉄道網建設計画を受け、中国はタイ全土及びラオス共和国における鉄道開発への出資に関心を示しており、鉄道路線で結ばれることで、将来は中国から南方面への鉄道輸送が可能になる利点がある。中国はタイ高速鉄道建設計画への出資に関心を示しており、北部から南部に向かう全長1,600kmの路線に出資する準備が整っている。路線はバンコク-ノンカーイ間615kmとバンコク-ラヨーン間220kmの2路線で、5年以内に建設を完了でき、レール間隔は標準軌の1.43mである。

運輸省は出資の妥当性について、中国の出資によりタイの国土に線路を建設し、建設完了後は民間の鉄道会社が利用料を払って鉄道輸送業務を行うことから、政府から政府への出資とすべきと判断している。上記の方法が可能であるか否か、特にタイ国有鉄道の土地利用に関する法律については、国内でのさらなる検討が求められる。

「専門知識や技術に関しては運輸省の管轄。一方の出資に関しては財務省の管轄で、担当官同士では交渉を続けている。例えば運輸省で元タイ国鉄総裁のタワンラット・オーンシラ次官が過去に交渉を行っている。我々の管轄ではなく他の管轄。それ以外にも…」とソーポン運輸大臣は語った。

(中略)

中国が出資に興味を持っている高速鉄道計画は、バンコク-ノーンカーイ間とラヨーン-バンコク間の2路線である。運輸交通政策計画事務局の検討によると、この計画の投資額は1,700億バーツで、キロ当たりの建設費用は2億8,000万バーツである。高速鉄道が他の電車よりもキロ当たりの建設費用が安い理由は、多種の建設方法がある中で、BTSのように高架にせず、MRTのように地下を掘削せず、地面の高さに敷設するため。運輸交通政策計画事務局では高速鉄道2路線の詳細を検討しており、バンコク-ノーンカーイ間をフェーズ1とし、ノーンカーイから南下しパダンベサールまでを結ぶ。フェーズ1の距離615km、所要時間3時間8分、1日あたり平均乗客数41,000人、片道運賃984バーツを見込む。さらに線路を延長してバンコク-パダンベサールを結んだ場合、距離982km、所要時間5時間、1日あたり平均乗客数44,200人、この路線に必要な追加投資額は2,400億バーツ。

高速鉄道バンコク-ラヨーン間は2路線を検討中で、ひとつはバンコク-チャチューンサオ-ラヨーン線、もう一方はバンコク-バンパコン-ラヨーン線で、それぞれの距離は221kmと194km。一番可能性が高いのは前者で、所要時間1時間11分、投資額は566億バーツ、1日あたり平均乗客数13,200人、片道運賃350バーツの見込み。かつて検討された高速鉄道の最高速度は時速250km。中国がタイに導入を勧めている高速鉄道は、北京~天津間120kmを最高時速350km、所要時間29分で結び、ひとり当たり運賃は58元、約290バーツである。

2010年8月25日水曜日

村人が驚愕 トゥッケーの肝臓を食べるミドリヘビ 凶兆か

ソース
ชาวบ้านตื่น งูเขียวกินตับตุ๊กแก หวั่นอาเพศ
http://www.thairath.co.th/content/region/106094 キャッシュ

「トゥッケーの肝臓を食べるミドリヘビ」は自然の摂理に反すると、凶兆に怯えるウッタラディット県の村人。災害の前触れか。同時に宝くじの当選番号を予想する人々も。

2010年8月24日の昼下がり、タローン郡ハートソーンケーウ区のポンテープ・チャイオーン区長から記者に連絡が入った。ウッタラディット県タローン郡ハートソーンケーウ区ハートソーンケーウ村3丁目57番地に住むシリチャイ・チウ氏(57歳)の住む半木造家屋の前にある道路で、周辺付近に住む村人多数が集まり、胴体の太さは人間の指と同じくらいで、長さ約40cmの緑色の蛇が、胴体の太さ2.5cm、全長約15cmのトゥッケーを巻き締めている戦いを観戦していた。

その後半時間ほど経った後で、ミドリヘビの締め付けに耐えられずトゥッケーが力を失うと、ミドリヘビがトゥッケーを丸呑みしようとしたために、村人の驚きはさらに増した。しかし最後にはミドリヘビもトゥッケーを丸呑みすることは諦め、トゥッケーから体を離した。それと同時にトゥッケーも敗北を認め口を開き、ミドリヘビが這い進み肝臓を食べられるままにした。ミドリヘビがトゥッケーの肝臓を食べ終わると、2匹は大した負傷もないままに離ればなれに去って行った。

ウッタラディット県ハートソーンケーウ区のポンテープ・チャイオーン区長は次のように語った。ミドリヘビがトゥッケーの肝臓を食べるのを、かつて一度だけ見たことがある。しかしそのときトゥッケーはおとなしく口を開き、ミドリヘビが肝臓を食うにまかせ、今回のように逆らったり身をよじって戦うことはなかった。通常ではトゥッケーが鳴きミドリヘビに肝臓を食べさせるのは乾季の間である。しかし今回は雨季であり、この戦いは自然の摂理からの大きな乖離を示している。このような動物2種類による事件は、本来ならば人間の目に触れないものであるにも関わらず、今回は村の真ん中で起きたことから、村人はウッタラディット県が災害に、特に他国で発生したような自然災害に見舞われるかもしれないと信じている。

「村人が集まりミドリヘビがトゥッケーの肝臓をきれいに食べ終わるのを見てからというもの、皆が事件の動画や画像をコピーし合い、保存して見ている。何人もの人から、生まれてこの方こんなものを見たことがないと言われた。ある人は聞いたことがあるが、年寄り連中の話を聞いただけで、実際には見たことがなかった。目利きの上手な村人は、ミドリヘビがトゥッケーを食べた場所が57番地の家の前だったので、2010年9月1日に発表される宝くじの当選番号は650と657、2桁ならば57だと言っている。家主の年齢もちょうど57だ」とポンテープ・チャイオーン区長は語った。

訳注:2010年9月1日発表の宝くじ、2桁の当選番号は11でした。

2010年8月23日月曜日

ピチット県民、洪水に負けずにコブラ狩り

ソース
ชาวบ้านพิจิตร ออกล่างูเห่า สู้ภัยน้ำท่วม
http://www.thairath.co.th/content/region/105589 キャッシュ

チャワランの国(訳注1)の住民が、コブラとネズミ(タイ名 หนูพุก、英名 bandicoot)の狩人に転身。複数の郡が水田の洪水に苦しむ中、農民からコブラ・ハンターに転職。収入は上々、市場の需要もあり…

2010年8月22日における最新の状況は、依然として複数の地域で雨が降り続けており、ピチット県ポープラタップチャーン郡とサームガーム郡を流れるヨム川の水位を昨日よりも上昇させ、家屋や周辺の水田や道路に広く洪水を引き起こしている。サームガーム郡ランノック区7番のサーイバーンヌーンユン通りではあちこちが水没し、住民は他の村との交通手段として舟を使わざるをえない。

ピチット県サームガーム郡ランノック区7番に住む男性、プリチャー・イェーカンチュー氏(45歳)は次のように語った。雨が激しく降ってるために、村が水に浸かってもう一週間になる。村の住民80世帯は農作業ができない。そこで農民から転職する必要に迫られ、副収入を得るためにコブラとネズミ狩りをすることにした。村の男達が集まって一緒に舟を漕ぎ、高値で売れるコブラを捕まえに出かける。売値はコブラがキロ当たり280バーツ、ネズミはキロ当たり50バーツ。コブラを捕まえた場合、平均すると1匹あたりの重さは1.5kgになる。女性は魚を採ってプラーラー(訳注:タイの発酵食品)を作ると、商人が村に来て買ってゆく。今は夕方で、村の男性はコブラとネズミを捕まえて帰ってきたところだ。約12匹のコブラを捕まえることができ、一番重いのは2.5kgあり、夜に約束した商人が買いに来るのを待っている。

ピサヌローク県ヌーンマプラーン郡とペッチャブーン県ワンポーン郡から溢れ出た洪水により、サークレック郡、ワンサーイプーン郡、タップクロー郡、ドンチャルーン郡とタパーンヒン郡では、水位は依然として上がりつつある。関係する担当者は24時間体勢で救助の準備を行っている。

訳注1:チャラワンとは、ピチット県に伝わる昔話「グライトーン」に登場する巨大なワニ王の名前。参考:http://www.gipu.jp/new/modules/doc6/rewrite/tc_23.html

2010年8月14日土曜日

コラート ロイヤルプラザ・ホテルの悲劇から17年

ソース
17 ปี ย้อนรอยโศกนาฏกรรม ร.ร.รอยัลพลาซ่า โคราช
http://www.thairath.co.th/content/region/103549 キャッシュ

ナコンラーチャシーマー県ムアン郡ジョームスラーンヤート通りにあるロイヤルプラザ・ホテル崩壊の事件は、タイにおける最大の悲劇のひとつであり、タイ人が心に刻むべき歴史の一場面である。当時の被害は死者137人、負傷者227人であった。タイラット・オンライン紙は1993年8月13日からの17年をもう一度振り返り、記憶に留め教訓としたい…

1993年8月13日午前10時30分、ラジオとテレビから流れる音響が静寂を破り、ナコンラーチャシーマー県ムアン郡ジョームスラー=ヤート通り547番地にある、6階建ての客室と食堂、そして娯楽を備えたロイヤルプラザ・ホテルが、ホテル従業員と宿泊客が居ながらに崩壊したとの知らせを伝えた。

教育省義務教育局の公務員や、研修に参加したシェル社の社員など、約380人が宿泊しており、137人が亡くなり、負傷者は227人、さらに多くの人々が知らせを聞いて非常に驚いた。

知らせを受けたタムロン・ラットナパーニット県知事とブンソム・ピリンユアン郡長は、第4地区警察指令シッティサック・イントムヤー警察少尉とナコーンラーチャシーマー県警本部長タルーンサック・スコンタマーン警察大佐、ナコーンラーチャシーマー県ムアン郡警察署長アムナート・アンアートガーム警察中佐、そして関係諸機関の担当官を連れ、現場に赴いた。

ロイヤルプラザ・ホテルの記録を調査した結果判明したのは、当時このホテルには5人で構成される役員会があり、ルーポン・パッタナチットウィライ氏が取締役会長を務め、1984年に市の発行した1983年10月24日付け許可証11/2527番に従って工事を開始した。地下を含む4階建ての建物の建設許可申請であり、申請人はナロン・ナンタマースック氏、部屋数は62で、後の1990年にロイヤルプラザ・ホテル社は許可証644/2533番に基づき建物を6階に増築した。

1990年3月20日に部屋数は134室に増加し、1993年にはさらに9室の増築を申請、その作業は、設計者かつ建築家のバムペン・パンラッタナイサラ氏と助手技師スワット・タンタヌック氏による建設会社、有限会社ウォンシンタイによって施工されている最中だった。この会社が建築許可を申請したとき、ニワッチャイ・スチャーダーラット氏がナコーンラーチャシーマー市長を務め、プラチット・ウォンマリー氏がナコーンラーチャシーマー市自治委員と施工認可責任者を務めていた。

当時のニュース映像 http://www.youtube.com/watch?v=UxoIBkHHOfY&NR=1

(後略)

2010年7月24日土曜日

タイ発電公社が放水 2つのダムが危機を脱出 クウェー・メークローン

(シーナカリンダム - wikipedia)

ソース
กฟผ.ปล่อยน้ำ 2เขื่อนแก้วิกฤต แคว-แม่กลอง - タイラット紙 キャッシュ

シーナカリンダムが一日あたりの放水量を2,000万立方米追加するも、ワチラロンコーンダムの放水量は減少、いまや一日あたりわずか3,000万立方米に。メークローン川の異常水位の問題を解決するために行うも…

カンチャナブリー県の水運関係者が記者に訴えた話によると、筏による水運や水に関わる商売に影響が出るほど、メークローン川、大クウェー川、小クウェー川の水量が減少しているそうだ。

タイ発電公社シーナカリンダム管理所副所長ウィーラチャイ・チャイサケーオ氏が今日(7月24日)以下のように語った。シーナカリンダムとワチラロンコーンダムの放水量の状態に関して述べると、まずシーナカリンダムの貯水量は十分であり、灌漑局が計画している今後の追加放水に応じられるだろう。貯水量は首都圏水道公団の貯水システムを補給する十分な量がある。

タイ発電公社シーナカリンダム管理所副所長は以下のように続けた。去る2010年6月頃、シーナカリンダムとワチラロンコーンダムの通常の1日当たり放水量は3,900万立方米で、その内訳はシーナカリンダムが1日当たり2,000万立方米、ワチラロンコーンダムが1日当たり1,90万立方米の放水である。2つのダムの貯水量は発電と一般消費に十分な量であり、乾季のあいだ農作業を続けられる程である。

ウィーラチャイ・チャイサケーオ氏は次のように語った。現在ワチラロンコーンダムの貯水量は非常に減少しているため、1日当たり300万立方米しか放水できない。一方のシーナカリンダムは1日当たり1,500万立方米の放水量であるため、大クウェー川と小クウェー川が合流したメークローン川の水位は下がりうるが、筏下りの観光業者に影響が出たとの連絡を受けた場合、シーナカリンダム側では放水計画を変更し、放水量を以前と同じ2,000万立方米に増やし、減少した水位を通常のレベルまで戻すことができる。

記者の報告によると、本日朝の大クウェー川と小クウェー川及びメークローン川の水位はほぼ通常の高さまで上がっており、浅瀬に乗り上げていた筏を動かし、筏下りを楽しみにやって来た大勢の観光客を迎えることができた。

2010年7月21日水曜日

五つ子の落花生が大人気! 外国人が持ち帰ってお祈り

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ฮือฮา!ถั่วลิสง5เม็ด ต่างชาตินำไปบูชา
http://www.thairath.co.th/content/region/97961 キャッシュ

1個に5粒の種が入ったのタイ産「落花生」がシンガポール人とマレーシア人の崇拝対象になり、1個2千バーツで買い求めに来タイ。友達が持ち帰ったら大金持ちになったと語り、貰い受けに来たものの入手できずに失望の帰国…

外国人が大注目。2010年7月21日のお昼近く、1個に5粒の種が入ったタイ産落花生の話題が盛り上がった。ナコンパトム県ナコンチャイシー郡クンゲーオ区の住民からの情報によると、シンガポールとマレーシアの実業家、マレーシア人リハーン・オールーン氏48歳とシンガポール人ホーキー・ウォーン氏52歳が、タクシーを雇ってサワーン・アーロム寺を訪れ、縁起物である五つ子の落花生を貰い受けるため、ペ老師に面会を申し入れた。

ペ老師は2年前、五つ子の落花生1個をシンガポール人の実業家リー・ユーン氏55歳に与えたことがある。彼が赤字のため破産の危機に瀕しながらタイを旅行していた際、縁起物で有名な寺を探し求め、旅行会社がペ老師を探し当て、ペ老師は五つ子の落花生を授けた。そのときに、よく拝みなさい、これはタイではとても珍しいものだから、昔から伝わる商売と幸運のご利益がありますよ、と伝えたのだった。

ホーキー・ウォーン氏はさらに語った。五つ子の落花生を得たリー氏は、商売で成功を収めて上昇気流に乗り、その他にもシンガポールのカシノで10万ドルを得る幸運を得た。リー氏は幸運はサワーン・アーロム寺で貰った豆のお陰であり、いまでは仏壇に置いている、と友達に話した。

この話はシンガポール人の注目を集め、話を聞いた自分は簡単に見つかるだろうとシンガポールの店や市場で豆を探したが、見つけることができなかった。そのためタイへ旅行に来るついでに、マレーシア人の友達を誘って、五つ子の落花生を探しに来た。1個2,000バーツで譲り受け、家に持ち帰って拝み、友達に分けてあげるつもりだ。この他にも寺の近くの店数軒を訪ねてみたが、最高は四つ子で、五つ子の落花生は見たことがないと言う。もし誰か持っていたら500バーツで譲ってほしい。

一方のペ老師は以下のように語った。五つ子の落花生を探すのはとても難しくて、豆よりも金を探すほうが簡単だよ。20年も昔、ある弟子が落花生5個を持ってきて、祖父母の代から伝わるもので、虫がつかないように花の汁を塗って仕舞っておいてください、と言った。昔からの言い伝えで、五つ子の落花生を持つ者は、商売繁盛し幸運に恵まれるという。そこで拙僧は、豆の商人や豆を植えている畑に、五つ子の落花生を見つけたら当時のお金で50バーツで買い取ると宣伝したんだよ。

ペ老師はさらに語った。最初のころは商人が持ってきたので、持ってきたら買い上げていたら、全部で70個くらい集まった。いまはもう見つからないよ。20ライ(約3万平米)の豆畑で1個あるかないかというところ。本当に探すのが大変だよ。いま残っているのは50個くらいで、弟子にあげたり、寺の世話をみてくれる人にあげたりした。売り物にはしていないけどね。いまはみんなが大事にするようになって、豆を植えている人や、豆を売っている人、誰でも見つけると取っておいて拝むんだ。それか拙僧のところに持ってくれば全部買い取っている。とっても良い商売の縁起物だからね。

ナコンパトム郡にあるパトム・モンコン市場で落花生を販売しているサマイ・チョークウドムさん(45歳女性)によると、20年以上も生豆と茹でた落花生を売っており、実家はカムペーンセーンに20ライ(約3万平米)の豆畑を持っているが、いままで五つ子の落花生は見たことがないと言う。自分は生の豆を買ってきて殻がついたまま煮て、小さな豆を選び分けているが、一番多いのでも4個までで、農家でも五つ子は見たことがない。見かけた人は取っておいて拝んでいると聞くし、もし自分も見つけたら同じように取っておくだろうけど、でもいままで見たこともないね。

2010年7月19日月曜日

安全基準を満たした宝石工場、明日から操業再開

ソース
เปิดโรงงานจิวเวลรี่พรุ่งนี้ หลังความปลอดภัยได้มาตรฐาน
http://www.thairath.co.th/content/region/97486 キャッシュ

メーリゴート・ジュエリー工場は明日から100%の操業準備。県工業局が薬物の残留を立入検査し、基準を満たすことを確認済み…

7月15日、アユタヤ県バーンパイン郡ハイテック工業団地にあるメーリゴート・ジュエリー(タイランド)社の工場で発生した、汚染浄化システムの配管から化学物質が漏洩した事故について、その後の進展が記者により報告された。7月19日、バーンパイン郡長ナッティ・ボースワン氏は以下のように語った。会社側は従業員3千人に就業許可を出したが、事故が起きた第5棟で働いていた残り千人については、まず上記の事故が起きた部屋の改築を終わらせ、労働局の立入安全検査を待たなければならないため、それまでは働くことができない。

アユタヤ県工業局のプラユーン・チントーン氏によると、7月20日に工場の全生産ラインの操業許可を与える予定で、それにより全従業員4千人が安全に働くことができる。産業大臣の現場視察があり、事故が起きた部屋の改築が命じられたため、工場の技術者が問題の解決にあたっている。また立入検査の報告によれば、薬品の臭いはPP管が燃えたのが原因であり、検査官が視察した結果、現在工場は国際的な安全基準を満たしているとの結論を得た。

2010年7月17日土曜日

記事「樹齢数百年のマカーモーンの巨樹伐られる」がタイラット記事大賞を受賞

訳注:この記事で語られるマカーモーンの樹(ต้นมะค่าโมง) はマメ科の樹です。

ソース
ข่าว "ตัดต้นมะค่ายักษ์อายุนับร้อยปี" คว้ารางวัลข่าวยอดเยี่ยมของไทยรัฐ
http://www.thairath.co.th/content/region/96795 キャッシュ

プレー県は、林業と、ここ何年も続く森林の違法伐採で有名な県である。森林伐採により、ここ毎年深刻な水害が起きている。

プレー県内で、樹齢数百年の巨樹を違法に伐採するのは、未だによく見かける光景である。悪意を持った資本家、政治家、公務員の共謀と実行により、巨樹が傷つけられるのを見た住民の心は悲しみに震える。

プレー県フアイメーパーン山中に、太さは10人が抱える程、高さ40m、樹齢百年以上、プレー県内に最後に残ったマカーモーンの巨樹が一本ある。今まで政治家や公務員、影響力のある資本家からの指令による伐採に遭わずにいた。

この樹齢百年以上に見える、プレー県で最後の一本となったマカーモーンの巨樹が倒されたことを知った住民は、悲しみと諦めに促され、暗黒資本家への遠慮と恐れを振り捨て、当局に知らせるべく訴え出た。

2009年5月31日の午後、プレー県ローン警察署長ワサン・マッタヨムナン警察大佐は、プレー県森林保護局第22事務所所長パッカディー・ソムチャイ氏と、森林保護局員と協力し、資本家が巨樹を伐採していると住民が訴えた場所に赴いた。

係官たちが徒歩でフアイメーパーン山にある林に着くと、そこには驚くべき光景があった。マカーモーンの巨樹が倒され、地面に重ねられていた。ある係官は「生まれてからこれほど大きな樹を見たことがない」と語った。係官が現場を調べると、倒されたのはマカーモーンの樹であり、幹は真っ直ぐで美しく、高さは約40m、幹は10人が手をつなぐ太さ。伐採された後に積み置かれた丸太は全部で21本、直径は2.5mだった。

資本家が山から移動することができないため、違法伐採された木は放置され林から運搬されるのを待ったまま放置されている。牽引用の象を何頭も使う必要があるが、雨季のため移動は困難だ。

森林保護局の係官がランパーン県象センターから象2頭を呼び、マカーモーンの丸太を山から曳き降ろしたが、初日は雨が強かったため、3本しか降ろすことができなかったが、翌日にはそこにあった丸太全てをプレー県森林保護局第22事務所に保管することができた。本件は警察に移管され、不正を犯した犯人を捜査し、不法伐採で告訴することになる。

タイラット紙の記者が現場に赴き、このマカーモーンの樹を伐採した犯罪の写真を撮影し取材をした後、世話役を自称するある男性と大物政治家の手下から電話があり、この事件を紙面に載せないよう脅しをかけてきた。新聞の評判が落ちることを憂慮しており、もし記事を掲載した場合は身の安全が保証できないと言う。

しかし記者は記事を送り、タイラット紙はマカーモーンの巨樹を切り倒す違法組織の詳細を明るみに出した。

2009年6月1日、プレー県知事ワンロップ・プリンポン氏は、プレー県の最後のマカーモーンの巨樹が伐採された報告を受け、関係各省の担当官を現場へ派遣した。樹が伐られた状態を見ると、ワンロップ県知事は驚き遺憾の意を示し、ローン郡の郡長に命ずるよりも先に、伐採した容疑者を急ぎ捜査し法的措置を執るよう担当官に命じた。

これと同時にワンロップ県知事は、違法組織によって押収した丸太が盗まれ移動されることのないよう命じ、マカーモーンの巨樹を伐採に関与した容疑者を徹底調査し、この地区の責任者についても職務怠慢を調べるよう命じた。

その結果プレー県知事は行政機関と森林局の両関係機関から証言を得て、ローン郡長を即座に他の地域に配置転換した。

後の2010年6月3日、森林局長は11の森林局係官に対し、配置転換を命じる指示書を発行し、委員会に係官の関与の有無を調べるよう命じた。

一方の警察では、係官の捜査により明白な証拠が発見され、伐採した樹木をある人物が北部の古寺に70万バーツで販売しており、法的措置を進め現在では検察の段階まで進んでおり、容疑者は保釈中である。

マカーモーンの巨樹を伐採する事件を掲載した後、それを不満に思った木材の不法組織から脅迫電話や記者の車を尾行する脅迫があった。新任のプレー県知事ソムチャイ・ホッタヤタン氏とプレー県指令チャローンチャイ・ブリーラット警察少尉が、記者の護衛のため常に警察官を配備しており、それは今も続いている。

この記事は、森林の保護管理に関わる人々に直接の影響を与え、樹木を伐採し破壊する組織を監視し逮捕する結果になった。このマカーモーンの巨樹を伐採する秘密の暴露は、罪を犯した人を捜査し逮捕させ、二度と伐採をさせないための保護の始まりとなった。

タイラット編集局は、プレー県のピジット・ソムサック記者によるこの記事をタイラット紙「2009年度記事大賞」の受賞記事とする。

2010年7月16日金曜日

化学物質が漏洩 アユタヤのメリゴート・ジュエリー工場

ソース
สารเคมีรั่วไหล ที่ โรงงาน แมริกอทจิวเวอรี่ อยุธยา หามเข้าโรงพยาบาล หลายคน
http://www.showded.com/myprofile/news_post_nc.php?newId=141357

アユタヤ県ハイテック工業団地のメリゴート・ジュエリー工場で化学物質が再度漏洩。従業員複数が病院に搬送された後、担当官が急遽立ち入り検査。

再度発生!メリゴート・ジュエリー社の工場の従業員がまた逃げ惑う。本日化学物質が再度漏洩。従業員50以上が病院への搬送された。

人工ダイヤを製造するアユタヤ県ハイテック工業団地のメリゴート・ジュエリー社内で化学物質による混乱が再度発生。女性従業員100人以上が気を失った昨夕の化学物質漏洩事故のあとで、今朝操業を開始したところ再度化学物質が漏洩。気を失った女性従業員50人以上が病院へ運ばれた。

訳注、以下追記
アユタヤ県の事故工場 単なる誤解 労働局長が事故とは無関係と発表

7月16日、アムポーン・ニティシリ労働福祉・保護局長はメーリーゴート・ジュエリー(タイランド)社で起きた薬品漏洩の件について以下のように述べた。アユタヤ県ハイテック工業団地で起きた爆発・漏洩事故は従業員300人をショック状態や気絶の危険に遭わせた。自分はアユタヤ県労働福祉・保護局より7月15日13時30分に発生した事故の報告を受けており、メーリーゴート社は溶接やガス溶断を用いて工場複数ヶ所の補修・強化工事を行っていたところ、火花が出て大量の煙が発生したとのこと。

アムポーン局長はさらに以下のように述べた。上記の事故を従業員は火事だと誤解し火災報知器のスイッチを押したため、従業員を驚かせ工場から走って避難させた。また屋外に避難して長時間日差しに照らされたために従業員30~40人が失神した。そのため会社側は具合の悪くなった従業員を病院に移送して治療を受けさせたため現在は問題ない。会社では従業員を臨時に休ませているが、7月16日には平常通りの勤務に戻れる。

「これは誤解だと思いますよ。係官も、現場で起きた事故や危険ではないと言っています。ただ塩ビ管をつないでいただけですからね」とアムポーン局長は語った。

いずれにせよ、アユタヤ県労働福祉・保護局の報告によるとこの事故で品質管理部の従業員1名が亡くなっており、現在死因を調べている。薬品の漏洩があった現場を調べたところ、全ての調査場所において薬品の濃度は基準値を下回っていた。

マティチョン紙より

2010年7月15日木曜日

超クール 子供のタイ音楽隊 「いつかリンピン並の有名人になる」

ソース
เจ๋งโคตร..กลุ่มดนตรีไทยเด็ก(แหวก)แนว "วันนึงผมจะดังเหมือนหลินปิง"
http://www.thairath.co.th/content/life/95992 キャッシュ

週末にチャトゥチャック市場を通りがかった人なら、この元気な若者たちが奏でるタイの伝統音楽の音色を耳にしたことがあるだろう。彼らの音楽を聴くと、びっくりし、興味が湧き、気分が楽しくなってくる。そして市場のこの近くを通りがかった人たちが立ち止まり、音楽に耳を傾けるため、その道はいつも人だかりができている。

もし彼らの演奏している音楽が、空の楽器ケースを置いて演奏する若者と同じく単に楽しみが目的ならば、それもまた良いだろう。しかし彼らがやっていることはそれとは全く異なり、自分以外の誰も助けてくれない、貧困に打ち克ち生活費を稼ぐ仕事なのだ。

ティム兄貴ことカムピー・スワンホン(22歳)は、通行人の人気を集めるこの4人のタイ伝統音楽団のうちのひとりであり、ラーチャパット・プラナコン大学に通っている。彼によると、家が貧しいため、すでに出稼ぎに来ていた兄を頼ってブリーラム県から出て来た。自分が大学に入った後、弟と一緒に楽団に参加している。家族は古典音楽に親しんでおり、祖母が古典芝居をやっていたため、子供の頃から音楽を教えてくれた。そのため兄弟とも演奏の基礎ができている。あの日祖母からもらった最後のプレゼントが、彼らの生活費を得る大事な収入になり、自分を進学させてくれた。

「僕の4人の兄弟は全員男子です。最初は兄がバンコクに仕事に来て、それから僕と弟があとから進学のため来ました。でも家が農家なので、収入はあまり良くありません。両親に、進学させてもらって4人兄弟を養ってもらうのは無理でしょう。だから学校に通いながら働かないといけません。最初は何をしたらいいのかいろいろ考えました。上から2番目の兄が音楽を演奏して投げ銭を集めようって誘ったんです。僕らは音楽ができますから。最初に演奏した場所はチャトゥチャック公園でした。でもそのときは興味を持ってくれる人はあまりいませんでした。そこでやり方を変えて、ホテル・カルフォルニア、ゾンビ、イエスタデイ・ワンス・モアといった洋楽や、タイのヒット曲も演奏してみたら良くなってきました。始めてから8ヶ月になり、メンバーも8人に増えました。その時々で全員は揃わないので、そのときは手の空いている人が来て演奏しています」

彼らが毎日やっていることは、普通の若い人ならばあまりやりたがらないことかもしれない。しかし演奏している若い彼らは、全く照れない、他人がどんな目で見ているかは全く気にしないと言い切った。彼らがしているのは自分の未来を良くするためであり、今日よりも明日は幸せになるためだ。

「道端に座っているとき、偶然大学の友達に逢ったこともあります。先生に逢うこともありますよ。その時は微笑みます。恥ずかしくはありません。悪いことではありませんし、真っ当な仕事です。演奏も一生懸命やっていますし、誰かの同情を買おうともしていません。僕らは普通の服を着て、腕で稼いでいるだけです。演奏に行くと店主や人が来てうるさいと言われ、邪魔をされることもあり、そのときは僕らも場所を変えます。説教されることもありましたけど、今はみんな知り合いになりましたよ(笑)」

彼らの考え方を知ると、彼らの発表する音楽とあまりに違うので不思議に感じる。しかし経験した苦労が影のように張り付いているために、彼らは日々を楽しく暮らす以上の何をするべきか考えるようになったのだろう。

「僕らがいつも、いつか将来は今よりもよくなるだろうと考えています。空の楽器ケースを置いて音楽を演奏するのは、僕らの明日の人生を広げるために、お金を稼いでいるのと同じことです。もしいま僕にお金がなければ学費を払うことができません。将来はもしできるなら有名な演奏家になりたいですね。でも年を取ったら、安定した仕事に就きたいです。タイの古典音楽の先生、でなければ洋楽でもいいです。そしたら両親にいまよりも楽をさせられますから」

空の楽器ケースを置いて音楽を演奏する彼らに、問題はなかったのだろうか?赤服のデモの際は、彼らはサイアム・スクエア地区での演奏を休まなければならなかった。

「あの期間はサイアム・スクエアでの演奏は休みましたから、少し収入が減りましたけど、大したことはありません。誰かを責めたくはないんです。得られるお金は、通り掛かる人がどれだけ満足したか次第ですから。彼らの元気ももらいましたし、だから僕はデモ隊も政府も責めたくないんですよ。けどひとつお願いしたいのは、タイの文化、特にタイ音楽の振興をしてほしいということです。そしてやりたい事ができずにいる人に機会を与えて欲しい。ときどき僕らもパンダが羨ましいですよ。あれぐらい有名になりたいですね(笑)」

彼らの話を聞くと、バイクで暴走したり、抗争で命を落としたりして刹那的な日々を送る若者たちのことが頭に浮かぶ。今日はここで彼ら若者と会う機会を得たが、最後の質問をしてから、彼らに演奏を続けてもらおう。彼らの答えはこうだった。

「僕は彼らのことは知りません。でも僕の知る限りでは浪費だと思います。本当にお金がもったいないですよ。用務員や建設現場の作業員の子供たちがそういうことが好きなので、僕らが預かって、一緒に音楽を演奏したことがあります。それ以外の人のことはあんまり話せないですよ。彼らはお金を持っていますから。彼らの両親は買ってあげることができますが、僕にはそれはありませんでしたから、なんであんなことをするのかわかりませんね」

2010年7月10日土曜日

有名僧が明かす ギャング団が野生動物を取引

ソース
พระไพศาลเผย คนมีสี ร่วมแก๊งค้าสัตว์ป่า
http://www.thairath.co.th/content/edu/95252 キャッシュ

パーサーン・ウィサーロー僧によると、複数の組織が共謀して森の動物を売買、仏陀の庭園にハンターを送り込み、特に一匹2万バーツと高価なセンザンコウを狙い海外へ販売、利益の大きなビジネスに…

7月10日、チャイヤプーム県プーキアオ郡のパーマハーワン寺とプールアン地域において、天然資源・環境省森林局ソムチャイ・ピアンサターポーン局長により、ラムパターオ・パープーロン水源復興植林プロジェクトが催された。20種6万本の苗木がパーマハーワン寺の住職であり、ラムパターオ水源復興協力事業委員長であるパーサーン・ウィサーロー僧から提供された。

だがパーサーン僧によると、パープーロンの森林は森林局が寺と仏教庭園組織に認可した保護林であり、その土地は数千ライに及ぶ。最近は侵入者が密かに木を伐採して転売したり、跡地で芋を栽培したりといった問題がある。しかし前述の問題は、寺の運動に住民が参加し、侵入を防いだり防火対策を採ったために減りつつある。

しかし現在起きている問題は森林での密猟である。かつては地元の住民が狩りをして食料にしたり売ったりしたが、現在の狩人は地元の住民ではなく外部の人間で「色人」と呼ばれ、銃や優れた武器を持っている。太いコネを持っているため地元の住民を恐れることもない。土曜か日曜日を選んで寺の所有地に入ってくる。トゥア・ニムもしくはトゥア・リムと呼ばれるセンザンコウは、キロあたり2,500バーツになるため儲けは大きい。一匹の重さは約8kgなので最高2万バーツになる。輸出先はこれを好んで食べる中国が主である。この「色人」以外にも、コンケーン県、マハーサーラカーム県、ムクダーハーン県から来る人間がいる。また、センザンコウの他にも森ネズミ100匹以上、赤牛を始めとする様々な動物が狩猟の対象になっている。

2010年7月7日水曜日

旧都アユタヤの城壁に便器! 緊急撤去命令

ソース
ปราสาทนครหลวง พบโถส้วม สั่งรื้อออกด่วน
http://www.thairath.co.th/content/region/94492 キャッシュ

呆然、、、アユタヤ旧都の城壁に便器が発見される。大読経の最中に階下のトイレに行けない僧のため、住職が設置したものだが、すでに撤去を命令じられ…

2010年7月7日午前10時、アユタヤ県の王宮跡の外壁の上に便器があるのを、通りがかった人が見つけた。仏教の礼拝の対象としては不適当なものである。そこで記者は現場に赴き、この便器を設置した責任者である住職に取材を行った。

王宮跡寺院の住職であるクルーキッティ・パンヤーワット僧、別名スリン僧は次のように語った。便器をこの城壁の上に設置したのは、数カ月前にこの寺で大読経会が行われた際、腹の調子が悪く階下にある便所まで行けない僧のために準備したもので、城壁のいちばん端に設置したもので壁も天井もなく、3インチの下水管が城壁から出るようになっているが、まだ使っておらず、今日になって他の人から不適切であると指摘されるまで撤去するのを忘れていたので、職人にはその場所から撤去するよう命じたところだ。

王宮跡の城壁はパーサック川の東側に位置している。かつてナコンルアン(首都)区は王がサラブリーの仏足跡を参拝される際の宿泊地であり、後のソンタム王(訳注1)の時代にはロッブリーに行かれる際の宿泊地になっていたと推測されるが、煉瓦を積み石灰を塗って建設されたのは西暦1604年、プラーサートトーン王(訳注2)の時代である。王はカンボジアのプラーサートシラーを見本として、ワット・テープチャンの近くに、カンボジアへの遠征成功を祝うために作らせた。しかし建築は不完全なままで終りその原因は不明である。後に城壁とその上に仏足跡四体が作られた。城壁の横にあった王宮は廃墟と化している。

訳注1:ソンタム王:アユタヤ王朝の24代目の王。
訳注2:プラーサートトーン王:アユタヤ王朝の27代目の王。

2010年7月6日火曜日

トゥッケーの干物で好収入 1ヶ月1千万バーツ

ソース
'ตุ๊กแก'อบแห้ง รายได้ดี 10ล้านต่อเดือน
http://www.thairath.co.th/content/region/94134 キャッシュ

ナコンパノム県の多くの地域では、旱魃の被害を受けているため、例年通りの稲作と農業を行うことができず、経済の状況も悪くなっており、人々の収入を減少させている。それにも関わらず、ここナコンパノム県ナーワー郡ナーワー区ターン村ではその影響を受けていない。その理由は、この村がナコンパノム県でただ一箇所、20年以上にわたって究極の特産物であるトゥッケー(大ヤモリ)、ミミズ、そしてヒルの干物を作って海外に輸出し、雇用を作り、収入を生み出し、村人に富をもたらしているからである。低迷している他の地域の経済とは対照的だ。

7月6日、ナコンパノム県ナーワー郡長カヌン・ミーポーンホム氏は以下のように記者に語った。ナーワー郡ナーワー区では不景気と旱魃にも関わらず、村人にはトゥッケー、ミミズ、そしてヒルの干物作りの仕事があり、海外に輸出販売し、一ヶ月当たり1千万バーツ以上の売上がある。区はこれを主要産業とみなし、監督・支援を行っている。

ターン村の住民で、トゥッケーの干物作りと販売を生業としている、プラーニート・ナーンサート氏(50歳)は以下のように語った。この仕事は20年以上続けているけど、収入はいいね。経済の調子が良くても悪くてもトゥッケーの干物には影響はない。トゥッケーは外で捕まえた人から、大きさに応じて10~25バーツで買って、決まったやり方に従って切り開いてから乾かしたり燻製にする。包装してから中国や台湾への輸出業者に売って、料理や精力剤になるんだ。値段は大きさ次第だけどだいたい1匹30バーツ、一ヶ月あたりの出荷量は数十万匹で、家族あたりだとひと月5千から1万バーツの収入になるよ。

プラーニートさんはさらに語った。トゥッケーが絶滅する心配は全くないよ。というのは毎年10月から1月までのトゥッケーの産卵期は捕えないようにしているんだ。この産卵期はトゥッケーの習性で、そのときはとても早く成長するし、数もたくさん増える。雨季に入ったときは代わりにヒルの干物を作っている。干物に使うトゥッケーは普通の家屋にいるやつだよ。森のなかにいるのを捕まえると、森林動物保護法に違反しちゃうからね。近い将来に養殖できないか試してみるよ。

2010年7月3日土曜日

雨は降れども水位は上がらず 危機は深刻「十三貯水池」の懸念

ソース
ฝนตกน้ำไม่เพิ่ม วิกฤตหนัก '13อ่าง'น่าห่วง
http://www.thairath.co.th/content/region/93501 キャッシュ

ラムタコーンダムの責任者は、大雨が降ったにもかかわらずダムの貯水量が増えずがっかり。コラートの市民に断水への準備を呼びかける。防災局は十三貯水池の貯水量不足を懸念…

7月3日、ラムタコーンダム送水管理事務所長チャックリット・ジェーンコーン氏は、ナコンラーチャシーマー県シーキウ郡にあるラムタコーンダムの貯水量の現状について以下のように発表した。現在の貯水量は僅か7,800万立方米、すなわち全貯水量の約25%である。しかし本当に使用できる水量、すなわち放水できる残水量は5,000万立方米以下にすぎない。ラムタコーンダムはナコンラーチャシーマー内の5つの郡における農業と上水道のための主要水源であり、ナコンラーチャシーマー市民に供給する上水道の唯一の水源である。現在のところ、ラムタコーンダム送水管理事務所で行っている放水は上水道用のみ、一日当たり34万5千立方米であり、ラムタコーンダムの水位が下がり続けているため、農業向けの放水は完全に休止している。そして心配されるのは、近い将来にナコンラーチャシーマー市民の上水道に与える影響である。

チャックリット氏は続けて以下のように語った。現在、ナコンラーチャシーマー周辺に雨が降っているが、雨はダムの上流周辺には降っておらず、ダムの下流付近に降っているため、ラムタコーンダムに流入する水量は依然として少ない。ラムタコーンダムでは一日当たり34万5千立方米を放水する必要があり、もし現在の状況が続くようであれば、ラムタコーンダムの水は2010年12月に底を着いてしまうため、ラムタコーンダム送水管理事務所では水分配計画を立てておかねばならない。2010年7月末以降もラムタコーンダム上流に雨が降らないならば、ダムの放水量を現在の半分、すなわち一日当たり17万立方米に減らす予定である。そうなると恐らくナコンラーチャシーマー市内の上水道に影響が出るだろう。そのためナコンラーチャシーマー市内の皆さんには、近い将来に来るであろう時に備え、節水にご協力くださるよう注意を呼びかけている。

一方、防災局からの報告によると、タイ国内にある主要な貯水池の貯水量は318億2,800万立方米、全貯水量の46%である。これは2009年の貯水量よりも74億7,000万立方米少ない。プミポンダムとシリキットダムの貯水量はそれぞれ40億5,400万立方米と32億2,700万立方米である。国内にある大型の貯水池33箇所のうち、13箇所では貯水量が30%より少なくなっている。特にパーサック・チョンシットダムとクンダーン・プラーカーンチョンダムでは、現在の旱魃が北部の12県、東北部の11県、中部の4県の合計27県、204郡、4,303,167人に影響を与えており、被害を受けた農地は2,198,096ライ(約3,500平方キロ)になる。一方の王室降雨局では、63県において113日の降雨活動を実施している。

2010年7月1日木曜日

予言的中2回で胴元がパンク タキアン樹霊「メー・タキアン」でサケーオ県はお金持ちに

ソース
เจ้ามือเจ๊ง2งวด หวย 'แม่ตะเคียน' รวยยกสระแก้ว
http://www.thairath.co.th/content/region/93013 キャッシュ

サケーオ県マイ・プライワン寺に十万の住民が集まり、タキアンの樹に住むといわれる樹霊「メー・タキアン」に宝くじの当選番号を祈願。すでに当選番号を2回も予言。県はお金持ちに、胴元は数億バーツの損。昨夜は交通整理の警官も出勤、数十キロの渋滞、神憑りも現れて…

6月30日、サケーオ県のソンサック・チャイラクサー警察大佐は、マイ・プライワン寺の入り口の警備と交通整理を行い、また群集を惑わす神憑りの儀式を絶対に行わないよう命じた。群衆と宝くじ好き合わせて10万人が、当選番号を求める流れとなって集まり、人々は次々とサケーオ県マイ・プライワン寺へ入って行った。7月1日に発表される宝くじの当選番号を、樹霊メー・タキアンに祈願する儀式に参加するためである。樹霊メー・タキアンは2回も当選番号を的中させており、そのおかげでタイ全土でお金持ちが出現、サケーオ県では胴元が先日16日のメー・タキアンの予言的中により数億バーツの損失を被った。

サケーオ県サケーオ郡サクワン区副村長ムー・マローイ氏は以下のように語った。今日は住民のみんなが次々と出かけていて、終わりは夜中か、もしかすると明け方になるかもしれないね。というのはみんながメー・タキアンに当たり番号を教えてもらいたいんだ。でも神憑りをやる人はいないよ。代わりにみんなはお供えを持ってきて捧げて、番号を当てているんだ。でも以前はこの神様もちっちゃなものだった。雨もひどく降っでも、宝くじが好きな連中は帰ろうとしなかったし、混雑がひどくて境内に入れない人もいたもんだから、お金を出して森の中に近道を作って、お寺の裏口に入れる道を作らざるをえなくなった。お寺の表側は数十キロの長さで渋滞しているけど、宝くじ好きはがっかりすることもないよ。なんたって樹霊は7月1日の当選番号170と461、末尾2桁の75を当てたからね。お告げの番号をもらった宝くじ好きの連中は地元へと帰っていったよ。

2010年6月17日木曜日

南部国境問題による死者数、6年間で4,000人を突破

ソース
ยอดผู้เสียชีวิตจากเหตุการณ์ความไม่สงบในจังหวัดชายแดนภาคใต้ 6 ปี ทะลุ 4 พันคน
http://www.js100.com/news/detail2.php?getdate=17/06/2553&getnum=186508

南部国境問題による死者数は、2004年6月4日に発生したナラティワート県ジョアイローン郡における武器庫襲撃事件から2010年4月末までを数えると、既に4,000人を突破した。5月の情勢はさらに悪化する傾向がある。2010年4月における南部3県とソンクラー県の3群における死傷者は203人、内訳は死者29人、負傷者174人で、2004年に発生した武器庫襲撃事件から合計した死者数は4,006人である。

4月に最も被害の多かった県はナラティワート県の33件で、パタニ県24件、ヤラー県11件、合計69件である。事件の内訳は、銃撃事件53件の内訳は、パッタニー県20件、ヤラー県6件、ナラティワート県27件。爆破事件15件の内訳は、パッタニー県4件、ヤラー県5件、ナラティワート県6件。南部問題による死傷者は203人、内訳は死者29人、負傷者174人。県と被害で分けると、パタニー県の死傷者102人のうち、公務中の死者は3人で負傷者は63人、民間人の死者は12人で負傷者は24人。ヤラー県の死傷者43人のうち、公務中の負傷者は17人、民間人の負傷者は26人。ナラティワート県の死傷者58人のうち、公務中の死者は2人で負傷者は21人、民間人の死者は12人で負傷者は23人。

2010年6月16日水曜日

宝くじの当選番号を伝える奇妙な牛 屠殺人も怖くて殺せず

ソース
คอหวยฮือขอเลข วัวประหลาด เพชฌฆาตไม่กล้าฆ่า
http://www.thairath.co.th/content/region/89792 キャッシュ

住民が当選番号を求めて集まる、予知能力のある奇妙な牛。生まれつき性器が2つ、睾丸が4つ、蹄が5つ。屠殺人も祟りを恐れて喉を切れず、屠殺所は持ち主に返却…

2010年6月15日、記者は住民から奇妙な牛がいるとの知らせを受けた。性別はオス、他の牛とは違った姿形で、年齢は約9歳。トラン県ヤーンターカーオ郡ナイクワン区ノーンヘーン村の田畑の真ん中で、紐につながれて草を食べているそうだ。知らせを受けた記者が、その牛の飼い主である国会議員コーメン・セートコン氏、そして付近の住民多数と一緒に取材に向かうと、現場には確かに奇妙な牛がいた。牛はオスで色は赤、奇妙で不思議な外見をしており、よく見ると性器が2つ、睾丸が4つ、左後足の蹄が5つある。この牛の写真を撮ろうとすると、この賢い牛は向きを変えて、自分の変わった足を隠そうとする。まるで自分の足を恥ずかしがっているかのようだ。それと同時に、知らせを聞いた多数の村人たちが、宝くじの当選番号を求めて集まり拝み始めた。

この奇妙な牛の飼い主は次のように語った。牛は9歳くらい、6,000バーツちょっとで買ってきたのを、サトーン県のとある屠殺所に7,000バーツで売ったけど、それから約1週間のあいだ、牛は草も水も与えられないまま放されていた。というのも、その屠殺所の従業員は自分に呪いが罹るのを怖がって、誰もこの奇妙な牛を殺せなかったんだ。そこで屠殺所の社長が連絡してきて、元の持ち主に返すと言ってきたので、また飼い続けることにした。自分もこの牛を殺したくないので、誰か買い手が現れるまで待つつもりだよ。

2010年6月15日火曜日

ラムタコーンダムが旱魃 農業用の放水休止か

ソース
เขื่อนลำตะคองโคม่า อาจงดจ่ายน้ำเพื่อการเกษตร
http://www.thairath.co.th/content/region/89567 キャッシュ

現在の貯水量は、合計3億4,144万立方メートル、満水時の貯水量の34.40%である。大型貯水池の貯水量減少は最も心配されており、現在は危機的レベルになっているのが、シーキウ郡クローンパイ区にあるラムタコーン貯水池である。この貯水池は、シーキウ郡、スーンヌーン郡、カームタレーソー郡、ナコーンラチャシーマー市の80地区、チャルームプラキアット区などの、多くの地区に住む人々へ、農業や生活用水を供給するための重要な水源となっている。また、ナコーンラチャシーマー市の上水道の唯一の水源でもある。

チャックリット氏は以下のように語った。現在のラムタコーン貯水池の貯水量は8,486万立方メートルで、満水時の貯水量3億1,449万立方メートルの26.98%である。ナコーンラチャシーマー県パクトンチャイ郡タコップ区にある、ラムプラプルーン貯水池の貯水量は4,364万立方メートルで、満水時の貯水量1億1,100万立方メートルの39.67%である。中規模の貯水池は18箇所あり、満水時の貯水量は1億6,894万立方メートルだが、現在の貯水量は44.73%の7,556万立方メートルである。

そのため、ラムタコーン送水管理局では、農家に田植えを止め、7月15日以降に延期するように呼びかけている。その時期ならば雨が降り、ラムタコーンダムから農業への送水は絶対に止まることはないし、人口降雨局と協力して水が途切れないようにダムの上流に雨を降らせるよう計画している。いままでの降雨はほとんどがダムの下流で降っているため、ラムタコーンダムの水位は下がり続けているが、もし7月15日になっても雨が降らず、水が得られないのであれば、即時にダムからの放水量を、現在の半分に減らす必要があるとチャックリット氏は語った。

ナコーンラチャシーマー県ダーンクントット郡ヒンダート区にある人工降雨局長アヌチャー・ウォンシリーサイ氏によると、ナコーンラチャシーマー県で旱魃に苦しむ28郡のひとつ、ダーンクントット郡では、陸軍は給水車3台を出動させ、生活用水の不足に悩む国民への給水活動を行っている。生活用水の不足に困っている16郡のうち、特にフアイボン郡、ヒンダート郡、ソーンブアラコーン郡、バーンガオ郡、タキアン郡の5群において深刻である。すでに区では緊急援助の予算50万バーツを許可しているが十分ではなく、県からの早急な支援を申請している。

干しバナナ名産地の雨乞い儀式は雷魚にお祈り

ソース
เมืองกล้วยตาก ทำพิธีขอฝน สวดคาถาปลาช่อน
http://www.thairath.co.th/content/region/89511 キャッシュ

旱魃のため伝統儀式で108遍の雨乞い。カムペーンペット県のペートオーム村では、粘土で作った雷魚と動物が、暦通りの雨を呼んでくれると信じている…

記者はカムペーンペット県カムペーンペット郡ニコムトゥンポータレー区ペートオーム村の住民からの知らせを受けた。この村に住む住民が集まり、天地の神が空から雨を降らしてくれるよう、雷魚に祈りを捧げる儀式を行っているという。この儀式は大昔から伝わるが最近は見かけないため、広く世間の人に見てもらいたいと、記者が取材のため現地に赴くと、先述の村では大勢の人が集まって忙しそうに土を練って、ヒトを含むいろいろな動物の像を作り、野原の真ん中で雷魚に祈りを捧げる儀式の準備をしているところだった。

ペートオーム村の伝統儀式に詳しいマーノップ・サーイプーン氏(68歳)は、次のように語った。いま見ているのは、雷魚に祈願する雨乞いの儀式の準備だ。今年の旱魃の被害は深刻で、雨季に入っても暦通りの雨が降らず、ニコムトゥンポータレー区を通る運河は乾き切っている。小川や沼地、運河、湿地などあらゆる場所にある水も同じように干上がった。そのため多くの村人が、神様への雨乞いの儀式を復活させることになったが、いろいろな儀式があるものの、ヘー・ナーン・メーオ(猫の雨乞い行列)は動物を虐待するのでやらずに、祖父母の代から伝わる、雷魚に108遍の祈りを捧げる雨乞いの儀式を執り行うことにした。

マーノップ氏はさらに以下のように語った。雷魚に祈願する雨乞いの儀式は代々伝えられており、暦通りの雨が降らなかった年は、雨乞いの寄進をしなければならない。住民の真ん中の土地を選び、目の高さの祠を立てて傘を差し、柔土を捏ねて雷魚・蟹・亀・牛・水牛・人・蛙などの命あるものを作り、手順に沿って拝んだ上で、可笑しな粘土の人形を、地面を掘って水を入れた穴の中や周辺に置く。

お供え物を載せる網を置いて礼拝し、人間の下界と天国の上界を分けてくださるよう、人間界に暦どおりの雨が降らず困っており、神様の助けを求めて儀式をしているのを樹の精が見てくださり、空の雨が降って助けてくださるようお祈りする。それから僧侶を招いてお経を唱えて頂くが、このとき雨乞い、もしくは村人が雷魚の祈りと呼ぶお経が必要だ。夜明けに村人が食べ物を持ち寄りお坊さんに捧げ、それを食べ終わったらもう一度雨乞いの祈りを捧げる。

マーノップ氏によると、雷魚の祈願には言い伝えがあり、昔々のころ、菩薩様は雷魚のお姿をされていたそうだ。しかし菩薩様は小さい魚や小さな動物を食べたことはなく、代わりにお召し上がりになったのはレモングラスのジュースや海苔などであった。雨が降らないとき、水が干上がり魚が死にそうになると、菩薩様は沼から顔を出し空を見上げて仰った。「雨の神様、私は魚でありますが、魚や稚魚の群れを食べたことはありません。いま友達たちと私はとても苦しんでおり、水が足りずに死にそうになっています。どうぞ偉大なお力を以て雨を降らせてくださいますよう、お願いいたします」菩薩様が祈り終わると、それは美しい雨が降り始めたが、そのときに雷や雷光、稲妻は全くなかったそうだ。

2010年6月10日木曜日

クルンピナンダムとベートン貯水湖による旱魃対策

ソース
ผุดเขื่อนกรงปินัง-อ่างเก็บน้ำเบตงแก้ปัญหาภัยแล้ง
http://www.thairath.co.th/content/edu/88313 キャッシュ

クルンピナンダムとベートン貯水湖を建設し、旱魃と洪水の問題を解消するという灌漑局の治水計画。実施のため政府の予算を要請…

ヤラー県灌漑局長チャローン・キアンティサックソーパン氏は以下のように語った。複数の地域における旱魃と水不足の問題により、特に国内の主要ダムにおいて、水量が大幅に減少している。そこで灌漑局からは各地域に対し、市民が必要なだけの水を得られるような治水対策を立てるよう命じた。先日ヤラー県灌漑局においては、水の利用者による会議が開催され、必要な水量を確保し、農業に影響を与えないための対策について話し合われた。

ヤラー県灌漑局長はさらに以下のように続けた。灌漑と洪水の問題を解決するために、クルンピナンダムとベートン貯水湖の建設計画により、未来の治水への計画は準備万端である。現在ヤラー県では灌漑局から政府へ、実施のための予算を求める要望書を作成しており、もし承認が得られれば、ヤラー県の治水を改善することができる。しかしそのためには地元住民の協力が不可欠であり、森林を伐採するのを止めてもらわねばならない。この地区の森林は水を貯えており、その森林を伐採すると将来は確実に水不足を引き起こすだろう。

2010年6月8日火曜日

アユタヤのラマ6世ダムが、ここ18年間で最大の旱魃

ソース
เขื่อนพระราม6อยุธยาแห้งในรอบ18 ปี
http://www.thairath.co.th/content/region/87399 キャッシュ

パーサック・チョンシットダムの貯水量の減少の影響で、ラマ6世ダムがこの18年で最悪の危機に瀕している。もし雨が降らなければ、サラブリ県から流れるパーサック川流域の広大な生態系に影響を与えるだろう。

ロッブリー県にあるパーサック・チョンシットダムの貯水量の減少が心配される中、ついにアユタヤ県地区の住民にも影響が出始めた。南パーサック(ラマ6世ダム)送水管理局水分配部、プラシット・タイパン部長は次のように述べた。本年度の旱魃はここ18年で最悪であり、1992年に起きた水不足と同じような状況である。その当時は無事に危機を乗り切ることができた。南パーサック(ラマ6世ダム)送水管理局の局員たちは危機に陥りつつある状況を心配している。

プラシット氏は以下のように語った。ラマ6世ダムは2つの水路から水を得ている。ひとつめはチャオプラヤー川であり、チャイナート-パーサック運河を通ってラマ6世ダムに入る水量は、毎分30立方メートルである。もうひとつの水路はパーサック・チョンシットダムであり、その水量は毎分12立方メートルである。両者を合計しても毎分50立方メートルに満たない危機的状況だ。パーサックダムからの水が流れるパーサック川で、もしこのような状態が続くと、サラブリ区からサオハイ区に至るパーサック川流域で、水を使う住民や農家に影響を与えることは間違いない。パーサック川の生態系は破壊され、その結果川は腐敗し、最終的にはパーサック川で養殖をしている人々に被害を与えるだろう。

当面の対策として、農家に水を使う作物を減らすよう呼びかけている。しかし喜しいことに雨が降り始めており、さらにこの時期は植え付けた作物の収穫がほぼ終わっている。送水管理局長はラマ6世ダムの下流に住む農民に対し、現在ダムからの放水量は毎分6.54立方メートルで、この状態がしばらく続くものと思われると注意を呼びかけている、と水分配部長は語った。

ラマ6世ダムのかつての名称はプラチアン・ラーチャーダムだった。アユタヤ県タールア区でパーサック川を堰き止め、12.5mの放水口六個を備えるタイで最初のダムである。水を堰き止め、パーサック川の下流にあるアユタヤ県・サラブリー県・パトゥムタニー県の合計68万ライ(1,088平方km)の土地を灌漑するため、1915年に建設が開始され、1924年に完成した、タイ初のダムである。

2010年6月7日月曜日

ハマグリ狩りの人々が集まるクラビ県の海岸 1キロ100バーツで売れます

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แห่เก็บหอยชักตีนเต็มหาดกระบี่ขายกก.ละ100
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住民と旅行者がハマグリ集めに夢中。波が打ち寄せる、長さ3km以上のクラビー県ノッパラットターラー海岸にて。いままでは見なかったこの貝、キロ当たり80~100バーツで売れます…

6月7日、有名な観光地クラビー県ピーピー島の、ノッパラットターラー海岸国立公園事務所の向かいにある乾いた運河の脇で、タイ人の旅行者と住民数百人が、ハマグリとその他の貝を集めていた。集めた貝は食事の材料にしたり売ったりできる。この日ほとんど一日中強い風が吹き波が打ち寄せたあと、ハマグリや様々な海の貝、そして大量の海草が、3km以上あるの砂浜のいたるところに打ち上げられた。

住民によると、ハマグリはクラビー県の名物料理であり、キロ当たり80~100バーツと高値なため、大概はそれだけを選り分けているそうだ。こんなに大粒なハマグリがたくさん採れたことは今までになく、波と海流の流れが強いために砂浜に打ち上げられるのではないかとのこと。お陰で住民はひとりあたり3~10キロも採ることができる。

シリキットダムの残水量は54日分 ここ18年で最大の旱魃

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เหลือน้ำใช้54วัน เขื่อนสิริกิติ์ แล้งสุดรอบ18ปี
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シリキットダムが、ここ18年間で最悪となる水不足の危機に瀕している。残り水量はわずか54日分。水量は減り、観光客向けの舟と筏は浅瀬に乗り上げている。もしあと2ヶ月雨が降らなければ、来年は今よりもより深刻な水不足になるだろう。

6月7日、シリキットダム管理部副管理部長プラサルート・タムロンウィットワ氏は次のように説明した。現在のところシリキットダムの水量は下がり続けており、ダムからの放水ができない状況である。長い間雨が降らなかったため、シリキットダムに入る水量が少なくなっている。今ではシリキットダムの水量はわずか6%、5億3,900万立方米にすぎない。水道局はシリキットダムに一日あたり1,000万立方米の放水を要請しており、これを換算すると残りの水量はたった54日分である。

現在シリキットダムに流れ込む水量は、一日あたりわずか300万立方米である。現在の水量では、ダムの水はあと2ヶ月しか使うことができない。下流にある農地を支援するために、ウッタラディット県の水際の農地89箇所で、ポンプを使って水を汲み上げ、22万9,769ライ(367平方km)の土地に送水する作業を行い、水力発電に使う水を確保し、水が枯渇せず、旱魃がダムの運用に与える影響がないように努めている。従って農家では今年の稲作を2010年7月まで延期する必要があり、今年は一期作しかできないだろう。2010年の水量は例年より非常に低く、2011年も深刻な旱魃に見舞われるだろう。

プラサルート氏はさらに語った。ここ数年を見ると、シリキットダムの水位は1992年7月9日に最低位となる128mを記録した。現在のシリキットダムの水量を見ると、今年3月の水位はここ18年で最低であり、もし農家が水の利用する目処が立たず、政府の推奨計画通りに生産することができないのであれば、農業は損害を受けるだろう。

ウッタラディット県知事ヨーティン・サムトーンキーリー氏によると、シリキットダムの水量が原因で、ナーン川にある灌漑所へ送る水量が不足している。灌漑局では農家に通達を出し、米に損害を与えないよう、稲作を延期するように呼びかけている。ウッタラディット県にある灌漑所では、ナーン川の水を使っている基地が89箇所あり、送水先の土地は合計22万9,769ライ(367平方km)に及ぶ。その内訳は、ウッタラディット郡にあるナムリット計画が一箇所で、水の供給先は区域内が3万4,446ライ(55平方km)、区域外が1万213ライ(16平方km)の合計4万4,659ライ(71平方km)である。電気ポンプによる揚水所はタープラー郡内の4箇所が3,000ライ、ウッタラディット郡の32箇所が5万5,440ライ、ペートローン郡の15箇所が3万9,070ライ、ピチャイ郡の37箇所が8万7,300ライ、特に県の中心部の農家では、シリキットダムの水量不足のため、2010年度の稲作を延期せざるを得ない状況だ。もしこれから2ヶ月の間、大型の台風が通過してシリキットダムに雨を降らすことがなければ、あらゆる方面への水供給が不足することになる。

2010年6月6日日曜日

コラート県の28群に旱魃の危機

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โคราชวิกฤติน้ำเหือดแห้งประกาศภัยพิบัติ28อำเภอ
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コラート県における旱魃の危機が深刻。水不足に喘ぐ地区はすでに28区。ラムタコーンダムの水量は27%と深刻な状況。灌漑局は農家に田植えを延期するよう勧告。援助資金の投入が急がれる…

6月6日午前9時、ナコーンラチャシーマー県災害予防・軽減局において、ピヤチャット・インサワーン局長は区域における旱魃の状況を発表した。県内の旱魃による被害を受けた地域は全32区のうち28区に及び、222群2,571村に達する。

局はこの旱魃の被害を受けた地区への援助として、県知事からの緊急融資5千万バーツを用いて、80箇所における水路の掘削と、被害を受けている人々がその水を利用できるよう配分する事業を実施している。

現在、ナコーンラチャシーマー県では、さらに12区で91箇所の水路を掘削し、旱魃の被害を受けた人々を救済するために、財務省から災害予防・軽減局を通じて受けた緊急融資枠をさらに6,400万バーツ追加するよう求めている。

ナコーンラチャシーマー県灌漑局長パイサーン・パンプン氏によると、県内にある大きなダムは4箇所あり、現在の水量は全部あわせても3億4,600万立方メートル、すなわち満水時の34%に過ぎず、これは非常に不安な水量であり、危機的状態と言える。

シーキウ区にあるラムコーンダムは、区内にある農地の水源であり、かつナコーンラチャシーマー市の上水道における唯一の水源でもある。ラムコーンダムの現時点の水量はたったの8,500万立方メートル、満水時の27%である。プーパックトンチャイ区にあるプラプルーンダムの水量は4,500万立方メートル、満水時の40%である。ナコーンラチャシーマー県灌漑局では揚水ポンプと配水車を用意しているものの、現在は広報が市民に節水への協力を呼びかけている状態だ。広報では、全地区の農家に対しても、旱魃が間違いなく収まるであろう7月中旬に、田植えを遅らせるよう呼びかけている。この状況は農家の農作物に大きな損害を与えるだろう。

2010年6月3日木曜日

雨乞いの儀式「ヘー・ナーン・メーオ」(猫の行列)と男根神体

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พิจิตรแล้งหนัก แห่นางแมว-ปลัดขิกขอฝนช่วย
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ピチット県ポープラタップチャーン郡ドンスアルアン区では、田植えの雨が降らないため、村民200人以上が集まり雨乞いの儀式「ヘー・ナーン・メーオ」(猫の行列)を行なった。さらには、お祓いのために作られた木製の巨大男根神体10個が行列に参加した。

6月3日14時、ドンスアルアン区長ウィサン・チャントーン氏は、村民約200人を率いて、雨乞いの儀式「ヘー・ナーン・メーオ」を執り行った。灰色のオス猫が檻に入れられ、村の周囲を行列して回った。木製の巨大男根神体10個も行列に加わり、村人は猫の檻に水を振りかけた。

最近の気候は、すでに雨季に入っているにも関わらず、雨が降らず深刻な日照りが続いている。そこでこの地域で稲作を生業としている人々が協力し合い、今回の雨乞いの儀式「ヘー・ナーン・メーオ」を執り行うことになった。

ドンスアルアン区に住むブンタム・ディンデーンさん(53歳・女性)は次のように語った。自分は50ライ(8万平米)の田で稲作をしているが、雨が降らないため、いまはまだ稲作を始めることができない。農家はとても困っており、降雨の時期が遅くなるのを心配している。もし雨が降ったとしても、洪水の影響を受けることになるだろう。この場所は低地のため、毎年洪水が起きており、稲に損害を与えている。農家はどうすることもできず、ただ雨が降ることを祈るしかない。農家に稲作のための雨を降らすため、この村では10年以上行われなかった「ヘー・ナーン・メーオ」の儀式を行った。

ドンスアルアン区長は次のように語った。ドンスアルアン区における危機的状況は例年よりも厳しいものだ。例年、各村はカンペーンペット県ピン川から引いた水を使うが、今年は運河が補修中のため、その水が送られてこない。他の年と比較すると、今頃は雨が降っており、種耕節(5月初旬)の頃から農作業が始めている。しかし今年は雨季にも関わらず雨が降らないため、ドンスアルアン区に住む90%以上の農家において、稲作に使う水がなくなっている。そのためこの「ヘー・ナーン・メーオ」の儀式を復活させることになった。

2010年6月2日水曜日

旱魃のスコータイ リンガ(男根神体)で雨乞い

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สุโขทัยแล้งจัด ทำปลัดขิกแก้เคล็ด
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スコータイ県シーサッチャナーライ郡ターチャイ区の村人は、大きなリンガ(男根神体)を作って家の前に置き、旱魃で農作物が受けた被害のお祓いをする…

6月2日午前9時、記者はサワンローク・シーサッチャナーライ通りの利用者からの連絡を受けた。道路沿いの住民たちが巨大なリンガ多数を作って家の前に置いているという。そこで取材のため現地に赴いたところ、道標15~17km地点、スコータイ県シーサッチャナーライ郡ターチャイ区の1, 2, 8, 13番地では、道路脇のほとんどの家の前に巨大なリンガが置いてあった。前述のリンガは長さ2メートル以上の大きなバナナの木でできており、先端部分はビンロウを用いて赤く染められており、根元にはココナッツの実2個をぶら下がっている。この道路を自動車で通る人々、特に女性の方は、面白さと恥ずかしさからニヤニヤしながら通り過ぎている。

記者がターチャイ区8番地に住むポーロイ・ルーンゲーサーン氏(60歳)に話を伺ったところ、彼は以下のように語った。いま村人たちは非常に困っている、このひと月あまり雨が降らないからだ。雨季に入ったにもかかわらず雨が降らないため、ターチャイ区の農家の主要生産物であるサトウキビ畑が、水不足のため乾いて枯れそうだ。種播きが終わった田んぼも、一体どうなるのかわからない。そのため村人はリンガを作って家の前に置き、神様を怒らせ目を引いて、神様の力で雨を降らせてもらうことにした。昨日の夕方に村人はヘー・ナーン・メーオ(猫の雨乞い行列)を執り行って村を周ってきた。これでふらなきゃどうしていいかわからんよ。

訳注
『もっと知りたい タイ』によると、この雨乞いの風習はタイに残るバラモン教の残滓であり、シヴァ神のシンボルであるリンガを振り回すことで、シヴァ神の妻パールヴァティーに雨乞いをしているそうです。

2010年5月25日火曜日

金鉱脈で村は大金持ち 毎日が金探し

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รวยยกหมู่บ้าน เจอบ่อทอง คนแห่ขุดทุกวัน
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村人が金を掘り出し大騒ぎ!三ヶ月前にサケーオ県ワッタナーンコーン郡ボーナーンチン村で見つかった金鉱脈。それを知った人々が掘ると、毎日見つかる金塊。お金持ちになった村人は新車を購入…

5月25日、サケーオ県ワッタナーンコーン郡フアイジョート区ボーナーンチン村の外れ、フアイジョート区4番地付近にある広さ約30ライ(4.8万平米)の場所で、金鉱脈が見つかったとの知らせを受けた。真偽を確かめるため、記者が現場に赴いたところ、100人以上の人々が、深さ1~2m、幅2~3mの大きさの穴を50箇所以上掘って金を探していた。フアイジョート区の住民サワイ・グンシリーさん(48歳)は、すでに約1グラムの金を見つけた幸運な男性である(訳注:写真のおじさん)。

フアイジョート区のスバン・シアムキン村長によると、今回の件で人々が掘っている約30ライ(4.8万平米)の土地は、サケーオ県の有力者、アムポーン・サンチョムゲーオ氏が所有している。所有者は村人が有料で金を採掘することを認めており、その額は300~500バーツ、広さは4m x 2mである。

それと接している10ライ(1.6万平米)の区域は、フアイジョート区在住の陸軍士官、ボンルー・チュイイウ氏(80歳)が所有しており、村人のために土地を無料で開放している。しかし採掘した金は、1グラム950バーツでチュイイウ氏に売らなければならない(訳注:現在の金の市場価格は1グラム約1200バーツ)。そのため近隣の人々が、この2区画で採掘しに集まって来ている。

村人は3ヶ月前に採掘を始め、ほぼ毎日収入を得ており、平均すると1日あたり1グラムである。昨月、ある幸運な人が大きな金塊を発見、重量は不明だが販売したところ400万バーツになり(訳注:日本円では1千万円以上)、ボーナーンチン村の富豪の仲間入りをした。ほとんどの村人が金探しによって収入を得ているため、家を新築したり、新車を購入する人を見ても、不公平を感じる人はいない。

スバン村長は次のように語った。ボーナーンチン村の村人たちは運が良い。なぜなら村全体で約18,000ライ(3千万平米)の土地があり、金鉱と1グラム以上の金塊があらゆる区画に眠っている。土地を調査した関係者は、ボーナーンチン村周辺の土地には、かつて金鉱があったことを確認している。大昔の人々による、金の採掘を示す証拠がいくつも見つかっている。

2010年5月15日土曜日

発掘された大昔の舟に、宝くじの当選を祈る

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ขุดพบเรือโบราณ คอหวยลุย กราบไหว้ขอเลขเด็ด
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長さ11メートル幅80センチの大昔の丸木舟が運河から引き上げられ、当たり番号を求めて拝む村人たち。舟を見ていた村の女性が気絶し目覚めると、自分は舟の持ち主で、舟を作るのに20年かかり、年齢は数百歳だと語り、ランナー様式の民族衣装を求めた。

5月12日の12時半頃、タイ北部ガンペーンペット県クローングラーン郡ポーンナムローン区クローンプライ村4番地の横にあるタピオカ畑の近くで、村人数百人が運河から引き上げられた大昔の丸木舟を見に集まった。

ポーンナムローン区役場の職員ブンチャン・インパイさん(43歳)によると、昨日夕方頃、上記の運河で村人が投網で魚を採っていたところ、水中で木材を踏んだことに気付いた。その大きさが普通でないと感じたので、水に潜って確かめてみたところ、非常に長くて中央に溝のある、舟に似た木材であることがわかった。そこで近所の人々に知らせ、トラクターを使って引き上げたところ、長さ11メートル幅80センチの、大昔の丸木舟であったため、村人は北部タイの習慣に従って、お供えをして拝んだ。

その後、話を聞いた域内すべての村と周辺の村々の人々が、丸太舟を見に続々と集まって来た。宝くじの当選日が近いこともあり、クローンプライ村の村人は、舟をクローンプライ寺に安置することに決めた。

皆が協力して丸太舟を自動車に載せたところ、舟を見ていた村の若い女性が気を失って地面に倒れたため、村人が手当をしたところ、地面から起き上がると金切り声を上げたため皆は驚いた。その女性は、自分は舟の持ち主であり、美しいランナー様式の民族衣装を自分に用意して、自動車を綺麗に飾らない限り、舟はどこにも移動させないと言った。

そこで村人は要求通りに物品を用意し、話を聞いたところ、この女性は次のように述べた。私はチェンマイに住んでおり、妹と一緒に夫を探して舟で下ってきた。舟を彫るために20年かかり、舟に乗ってきてから約10年が経ったが、夫は見つからない。この付近で私の舟は沈み、それからずっと舟を見守ってきた。今では年齢は数百歳になる。もし寺に居させたいならば私の言う通りせよ。さもなくば呪われるであろう。村人は急いでこの女性の言う通りにした。

この話しが伝わると、周辺からさらに多くの人々が集まり、お供えの花や蝋燭、線香を持ち、お供えを買って、タイ北部の作法に従って幸運を祈願し参拝した。宝くじの番号を求める人も多く、夕方になり自動車の飾り付けが出来上がると、舟をクローンプライ寺に奉納するために人々の行列ができた。

舟は南洋材でできており、約100年前の丸木舟と推測される。村人が「クローン」と呼ぶ古代の道具を用いて彫られる舟である。かつてのガンペーンペットには非常に多くの林があり、林に関する事業を独占していた。クローングラーン郡にある林で木が切られ、運河に流され、その後筏に仕立てられピン川を流してタイ中部へと運ばれた。
丸木舟の材料は、かつてクローングラーン郡に多く生えていた南洋材が好んで使われる。未完成の状態まで舟の形に彫られ、やはり筏に仕立てられタイ中部まで運ばれて売られた。それを買った者はもう一度仕上げ加工を行った後で使う。従って想像するに、売るために彫られた丸木舟が、運ぶ途中に沈み失われ、それがこのように見つかったのであろう。

2010年3月6日土曜日

メコン川に163年間水没していた仏舎利が現わる ナーガ(龍神)の足跡を発見

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พระธาตุโผล่แม่โขง จมน้ำ163ปี เจอรอยพญานาค
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メコン川のノーンカーイ県流域では水位が下がり、メコン川の中に163年以上沈んでいた仏舎利が4m以上の高さで現れた。それと同時に奇妙な足跡が川岸に停めた乗用車のトランクの上で見つかった。持ち主はナーガ(龍神)の足跡だと信じている…

3月6日、ノーンカーイ水上警察のブンルアン・リヤブトーン少佐は、報道陣と共にメコン川の水位を調査するため、水上警察の船着場から水の中にある仏舎利までの距離約3kmを目指して出発した。メコン川の水位は日夜下がり続けており、ここ50年で最低となる0.32mを記録したため、川の中にある仏舎利、別名ラーノーン仏舎利と呼ばれる、村人により西暦551年に建てられ、お釈迦様の右側の御聖骨9片が入っている仏舎利が姿を表した。

かつてラーノーン仏舎利は古代寺院の中庭に位置していたが、メコン川の急流が川岸を削り落としたため、仏舎利は1847年にメコン川の流れに呑み込まれた。メコン川の流れに沈んでから今年まで163年間、右側から倒れた形で水面下に沈んでおり、メコン川の水位が下がった年はわずかに仏舎利の土台の縁が1~2m程見えるだけであったが、今年は仏舎利の土台から中心まで、水面から高さ4~5mまでがはっきりと見える。

ブンルアン少佐によると、今年がメコン川の水量は例年に比べ異常に低いため、ノーンカーイ水上警察の船着場の対岸付近では例年よりもラオス側の川岸が広くなり、メコン川を流れる水の流れが常に変化している。水上警察の船が巡回に出るときは水の流れに注意しないと船が川底に乗りあげてしまうことがあり、その問題が頻発している。水が少ないときは、巡回する係官の苦労が増し、巡回船が壊れるリスクも増す。

仏舎利の一部がはっきり見えるということは、すなわちメコン川の今年の水量が非常に低いということで、メコン川の川岸に暮らす人々が使う十分な水があるかどうかが心配される。

それと同時に記者が受けた知らせは、爬虫類が這ったような奇妙な足跡が、ノーンカーイ県ノーンカーイ郡仏舎利村、メコン川の岸辺に停めてあった乗用車の上に見つかったとのことである。そこで取材に向かったところ、仏舎利村に住むラッチュダー・ウォンチャムノンさん(33歳女性)が所有する、黒のノーンカーイ県ナンバーのホンダ・アコードに、硬い背骨を持った生物が這ったような跡が、ぐねぐねと4インチほどの長さで、クルマのボンネットとトランクに残っていた。

自動車の持ち主、ラッチュダーさんは次のように語った。毎日メコン川の川辺に駐車しており、今朝になって兄が自動車に乗って自分の自動車の後ろに停めたところ、ナーガ(龍神)が自動車の上に乗った跡があると言われた。そこで自分で見に行くと、確かにノーンカーイ県ではよく見かける足跡が残っており、近所の村々の人々が集まってきておりナーガ(龍神)の足跡だと言われた。それに加えて、自分の夫は出家している最中で、他県に巡礼に行っているため、ナーガ(龍神)の足跡があったことを電話で話して聞かせたところ、夫からは出家をしているときにナーガ(龍神)の出来事があったのは功徳の現れであると言われた。ナーガ(龍神)の足跡が自分の自動車についたのを知り、これは間違いなくナーガ(龍神)の法力によるものだと信じていますよ。