2010年10月5日火曜日

夢に導かれて地面を掘ると アユタヤ時代の短刀が

(タークシン大王の像)

ソース
ขุดตามความฝัน พบกริชโบราณ สมัยพระเจ้าตาก
http://www.thairath.co.th/content/region/116569 キャッシュ

カオクンパノム寺(วัดเขาขุนพนม)の住職が二晩続けて奇妙な夢を見た。「タークシン王」と将軍に会い、洞窟に埋もれた武具を掘り起こすよう命じられる。夢の意味を寺の重鎮に相談し、地面を掘り起こしたところ、古代の美しい短刀を発見した。

10月5日、本紙記者は地元住民から、その日の昼前に、ナコーンシータマラート県プロムキリー郡バーンコ区3番にあるカオクンパノム寺で、歴史的価値のある古代の短刀が発掘されたとの知らせを受け、取材のために現場へ赴いた。

この寺はクンパノム山の麓にある。寺の僧が記者に語った話によれば、古い短刀を掘り起こしたのは、この寺の住職である。その住職は、寺にいる僧と付近の住民を引き連れクンパノム山を登り、寺から約200m離れた場所にある洞窟を訪れ、短刀を祀る儀式を行った。

そこで記者がその場所へ向かったところ、断崖の近くにある岩を登った先にある大きな洞窟を見つけた。洞窟にはロープを使って降りなければならず、内部は真っ暗だったが、80mほど歩くと僧侶と村人がお経を唱えている広い場所に出た。松明に照らされた内部を見ると、この洞窟内部はとても広い場所で、およそ千人が入ることができると思われる。洞窟には大きな仏像が安置され、儀式の前方では2本の短刀が白い布の上に供えられていた。

住職ピヤクナーターン指導僧(40歳)は上記の短刀を持ってきて記者に見せてくれた。長さ30cmはあると思われる長めの短刀で、青銅が混ざった黒い金属でできており、その刃には古代の文字で銘が切ってあり、柄は龍神パヤナークの姿をしている。ピヤクナーターン指導僧によれば、この短刀を見つける前に、タークシン王と古代の鎧を来た将軍たちが夢に現れた。彼らは僧の周囲を取り囲むように立ち並び、洞窟に埋められた古代の王剣を掘り出して、すでに見つかっているもう1本と一緒に、寺の保管所に入れてほしいと僧に頼んだ。

「夢の中で王は仰った。洞窟の真ん中を鍬で28回掘るのだ。さすれば200年間土の下で眠っていた王の短刀一対が見つかるであろう。王はこの洞窟に現れ、王と将軍を祀るよう頼まれ、その後拙僧の身体は何回も炎に包まれた」

ピヤクナーターン指導僧はさらに以下のように語った。次の夜もまた同じ夢を見てからは、眼を閉じて眠ることができなかった。一晩中僧衣が燃えているように熱く感じられ、何回も僧坊から出て水浴びをしても熱は消えそうになかった。夜明けを待って寺の僧たちに夢で見たことを語ったところ、寺の重鎮たちの知るところとなり、洞窟の中央部、石灰石が混じった地面を掘り返すことが決まった。鍬で28回掘り下げたとき、夢と同じように短剣が発見されたことは驚くべきことだ。短剣を見つけたあとで供養の儀式を行ない、タクシーン大王とその将軍たちを供養した。

カオクンパノム寺の住職は続けた。普通であれば一部の新米僧たちのように迷信や秘術の類は信じない。政治学の学士号を取得しており、コンピューターと最新技術を様々な場所で学んでいる。秘術や呪術を信じたことは一度もない。以前はナコーンシータマラート県代表を務めていた、ワット・マハータート寺住職、テープウィンヤーポーン僧の秘書助手をしていた。こんなことが起こるとは夢にも思わなかった。芸術局の担当係官に連絡して、発見した短刀を調査し、この短剣がいつの時代に作られた物なのか、どんな経緯でここに来たのか、専門家に鑑定してもらうつもりだ。しかし短剣の刃に刻まれた文字は古代スリランカ文字のように見える。

一方、ナコーンシータマラート県プロムキリ郡バーンコ区在住で寺委員も勤めるカオクンパノム地区の住民クローム・ポンパン翁(94歳)が記者に語った話によれば、生まれた時からここに住んでおり、子供の頃は寺やクンパノム山を走り回っていた。当時祖父母や父母からは、タークシン大王が亡くなった場所は、首都ではなくクンパノム山の頂上にある洞窟の中だと聞かされていた。その証拠となる食器や宝石、価値ある古美術品多数が寺、洞窟、そして近隣の山にも多く残っているため、調査をすることができる。成長してからは歴史を学び、学んできたタークシン大王が死後に残した品々と、自分の目で見た品々や、先祖代々伝承されてきた話、そして証拠の品々などをいろいろ比較してみたが、いささか違っているように思われる。自分やナコーンシータマラートに住む人々の多くは、大王はこの地で崩御され、このナコーンシータマラートと南部十二支地区の支配者の先祖となり、そこから多数の子孫が繁栄したものと信じている。

続いて、シンブリー県バーンラチャン郡チューンクラット区出身で、現在は寺の門下生となっているニティットポン(またはファーサイ)・ルークソーピー氏(46歳)が、寺や洞窟や山の中にある証拠の数々を記者に見せてくれた。寺に入るときは東側から245段の階段を上がらなければならず、その両側にはずっと龍神パヤナークの彫像が途切れることなく続いている。非常に古びた東屋の少し手前に来ると、タークシン大王が仏門に入ったのはこの東屋だと言われており、この近くにあるもうひとつの東屋で大王が瞑想をしたと信じられている、とニティットポン氏は語った。

この他にも記者は、ナコーンシータマラート県チアヤイ郡カオプラバート区出身の、デーン・アパイロート比丘尼(80歳)と会った。比丘尼はナコーンシータマラートやその他の地に住む家族と一緒にタークシン大王を拝むため、この地で20年以上も出家生活を送っており、この地は大王が最後の時を過ごした場所だと信じている。寺とその周辺には修行をしている者が多く住んでおり、その殆んど全てがタークシン大王を拝み奉っている。