2010年8月27日金曜日

中国が高速鉄道へ資本投下、運輸省が話し合いへ前進


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คมนาคมเดินหน้าเจรจาจีนลงทุนไฮสปีดเทรน
www.thairath.co.th/content/eco/106745 キャッシュ

中国が高速鉄道へ出資、運輸大臣が話し合いへ前進。まずはバンコク-ノーンカーイ線とラヨーン-バンコク線から?

先週始めに中国の北京と昆明を訪問して帰国したソーポン・サーラム運輸大臣は、中国はタイの鉄道、特に高速鉄道計画への出資に関心を持っているとの表明を受け、友好関係を進展させるため、タイと中国を結ぶ鉄道の開発を発表した。

運輸大臣は中国鉄道局長と面談、意見交換を行ない、2008年に開業した北京・天津間を結ぶ高速鉄道を訪問した。運輸大臣によれば、中国国内での鉄道網建設計画を受け、中国はタイ全土及びラオス共和国における鉄道開発への出資に関心を示しており、鉄道路線で結ばれることで、将来は中国から南方面への鉄道輸送が可能になる利点がある。中国はタイ高速鉄道建設計画への出資に関心を示しており、北部から南部に向かう全長1,600kmの路線に出資する準備が整っている。路線はバンコク-ノンカーイ間615kmとバンコク-ラヨーン間220kmの2路線で、5年以内に建設を完了でき、レール間隔は標準軌の1.43mである。

運輸省は出資の妥当性について、中国の出資によりタイの国土に線路を建設し、建設完了後は民間の鉄道会社が利用料を払って鉄道輸送業務を行うことから、政府から政府への出資とすべきと判断している。上記の方法が可能であるか否か、特にタイ国有鉄道の土地利用に関する法律については、国内でのさらなる検討が求められる。

「専門知識や技術に関しては運輸省の管轄。一方の出資に関しては財務省の管轄で、担当官同士では交渉を続けている。例えば運輸省で元タイ国鉄総裁のタワンラット・オーンシラ次官が過去に交渉を行っている。我々の管轄ではなく他の管轄。それ以外にも…」とソーポン運輸大臣は語った。

(中略)

中国が出資に興味を持っている高速鉄道計画は、バンコク-ノーンカーイ間とラヨーン-バンコク間の2路線である。運輸交通政策計画事務局の検討によると、この計画の投資額は1,700億バーツで、キロ当たりの建設費用は2億8,000万バーツである。高速鉄道が他の電車よりもキロ当たりの建設費用が安い理由は、多種の建設方法がある中で、BTSのように高架にせず、MRTのように地下を掘削せず、地面の高さに敷設するため。運輸交通政策計画事務局では高速鉄道2路線の詳細を検討しており、バンコク-ノーンカーイ間をフェーズ1とし、ノーンカーイから南下しパダンベサールまでを結ぶ。フェーズ1の距離615km、所要時間3時間8分、1日あたり平均乗客数41,000人、片道運賃984バーツを見込む。さらに線路を延長してバンコク-パダンベサールを結んだ場合、距離982km、所要時間5時間、1日あたり平均乗客数44,200人、この路線に必要な追加投資額は2,400億バーツ。

高速鉄道バンコク-ラヨーン間は2路線を検討中で、ひとつはバンコク-チャチューンサオ-ラヨーン線、もう一方はバンコク-バンパコン-ラヨーン線で、それぞれの距離は221kmと194km。一番可能性が高いのは前者で、所要時間1時間11分、投資額は566億バーツ、1日あたり平均乗客数13,200人、片道運賃350バーツの見込み。かつて検討された高速鉄道の最高速度は時速250km。中国がタイに導入を勧めている高速鉄道は、北京~天津間120kmを最高時速350km、所要時間29分で結び、ひとり当たり運賃は58元、約290バーツである。

2010年8月25日水曜日

村人が驚愕 トゥッケーの肝臓を食べるミドリヘビ 凶兆か

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ชาวบ้านตื่น งูเขียวกินตับตุ๊กแก หวั่นอาเพศ
http://www.thairath.co.th/content/region/106094 キャッシュ

「トゥッケーの肝臓を食べるミドリヘビ」は自然の摂理に反すると、凶兆に怯えるウッタラディット県の村人。災害の前触れか。同時に宝くじの当選番号を予想する人々も。

2010年8月24日の昼下がり、タローン郡ハートソーンケーウ区のポンテープ・チャイオーン区長から記者に連絡が入った。ウッタラディット県タローン郡ハートソーンケーウ区ハートソーンケーウ村3丁目57番地に住むシリチャイ・チウ氏(57歳)の住む半木造家屋の前にある道路で、周辺付近に住む村人多数が集まり、胴体の太さは人間の指と同じくらいで、長さ約40cmの緑色の蛇が、胴体の太さ2.5cm、全長約15cmのトゥッケーを巻き締めている戦いを観戦していた。

その後半時間ほど経った後で、ミドリヘビの締め付けに耐えられずトゥッケーが力を失うと、ミドリヘビがトゥッケーを丸呑みしようとしたために、村人の驚きはさらに増した。しかし最後にはミドリヘビもトゥッケーを丸呑みすることは諦め、トゥッケーから体を離した。それと同時にトゥッケーも敗北を認め口を開き、ミドリヘビが這い進み肝臓を食べられるままにした。ミドリヘビがトゥッケーの肝臓を食べ終わると、2匹は大した負傷もないままに離ればなれに去って行った。

ウッタラディット県ハートソーンケーウ区のポンテープ・チャイオーン区長は次のように語った。ミドリヘビがトゥッケーの肝臓を食べるのを、かつて一度だけ見たことがある。しかしそのときトゥッケーはおとなしく口を開き、ミドリヘビが肝臓を食うにまかせ、今回のように逆らったり身をよじって戦うことはなかった。通常ではトゥッケーが鳴きミドリヘビに肝臓を食べさせるのは乾季の間である。しかし今回は雨季であり、この戦いは自然の摂理からの大きな乖離を示している。このような動物2種類による事件は、本来ならば人間の目に触れないものであるにも関わらず、今回は村の真ん中で起きたことから、村人はウッタラディット県が災害に、特に他国で発生したような自然災害に見舞われるかもしれないと信じている。

「村人が集まりミドリヘビがトゥッケーの肝臓をきれいに食べ終わるのを見てからというもの、皆が事件の動画や画像をコピーし合い、保存して見ている。何人もの人から、生まれてこの方こんなものを見たことがないと言われた。ある人は聞いたことがあるが、年寄り連中の話を聞いただけで、実際には見たことがなかった。目利きの上手な村人は、ミドリヘビがトゥッケーを食べた場所が57番地の家の前だったので、2010年9月1日に発表される宝くじの当選番号は650と657、2桁ならば57だと言っている。家主の年齢もちょうど57だ」とポンテープ・チャイオーン区長は語った。

訳注:2010年9月1日発表の宝くじ、2桁の当選番号は11でした。

2010年8月23日月曜日

ピチット県民、洪水に負けずにコブラ狩り

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ชาวบ้านพิจิตร ออกล่างูเห่า สู้ภัยน้ำท่วม
http://www.thairath.co.th/content/region/105589 キャッシュ

チャワランの国(訳注1)の住民が、コブラとネズミ(タイ名 หนูพุก、英名 bandicoot)の狩人に転身。複数の郡が水田の洪水に苦しむ中、農民からコブラ・ハンターに転職。収入は上々、市場の需要もあり…

2010年8月22日における最新の状況は、依然として複数の地域で雨が降り続けており、ピチット県ポープラタップチャーン郡とサームガーム郡を流れるヨム川の水位を昨日よりも上昇させ、家屋や周辺の水田や道路に広く洪水を引き起こしている。サームガーム郡ランノック区7番のサーイバーンヌーンユン通りではあちこちが水没し、住民は他の村との交通手段として舟を使わざるをえない。

ピチット県サームガーム郡ランノック区7番に住む男性、プリチャー・イェーカンチュー氏(45歳)は次のように語った。雨が激しく降ってるために、村が水に浸かってもう一週間になる。村の住民80世帯は農作業ができない。そこで農民から転職する必要に迫られ、副収入を得るためにコブラとネズミ狩りをすることにした。村の男達が集まって一緒に舟を漕ぎ、高値で売れるコブラを捕まえに出かける。売値はコブラがキロ当たり280バーツ、ネズミはキロ当たり50バーツ。コブラを捕まえた場合、平均すると1匹あたりの重さは1.5kgになる。女性は魚を採ってプラーラー(訳注:タイの発酵食品)を作ると、商人が村に来て買ってゆく。今は夕方で、村の男性はコブラとネズミを捕まえて帰ってきたところだ。約12匹のコブラを捕まえることができ、一番重いのは2.5kgあり、夜に約束した商人が買いに来るのを待っている。

ピサヌローク県ヌーンマプラーン郡とペッチャブーン県ワンポーン郡から溢れ出た洪水により、サークレック郡、ワンサーイプーン郡、タップクロー郡、ドンチャルーン郡とタパーンヒン郡では、水位は依然として上がりつつある。関係する担当者は24時間体勢で救助の準備を行っている。

訳注1:チャラワンとは、ピチット県に伝わる昔話「グライトーン」に登場する巨大なワニ王の名前。参考:http://www.gipu.jp/new/modules/doc6/rewrite/tc_23.html

2010年8月14日土曜日

コラート ロイヤルプラザ・ホテルの悲劇から17年

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17 ปี ย้อนรอยโศกนาฏกรรม ร.ร.รอยัลพลาซ่า โคราช
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ナコンラーチャシーマー県ムアン郡ジョームスラーンヤート通りにあるロイヤルプラザ・ホテル崩壊の事件は、タイにおける最大の悲劇のひとつであり、タイ人が心に刻むべき歴史の一場面である。当時の被害は死者137人、負傷者227人であった。タイラット・オンライン紙は1993年8月13日からの17年をもう一度振り返り、記憶に留め教訓としたい…

1993年8月13日午前10時30分、ラジオとテレビから流れる音響が静寂を破り、ナコンラーチャシーマー県ムアン郡ジョームスラー=ヤート通り547番地にある、6階建ての客室と食堂、そして娯楽を備えたロイヤルプラザ・ホテルが、ホテル従業員と宿泊客が居ながらに崩壊したとの知らせを伝えた。

教育省義務教育局の公務員や、研修に参加したシェル社の社員など、約380人が宿泊しており、137人が亡くなり、負傷者は227人、さらに多くの人々が知らせを聞いて非常に驚いた。

知らせを受けたタムロン・ラットナパーニット県知事とブンソム・ピリンユアン郡長は、第4地区警察指令シッティサック・イントムヤー警察少尉とナコーンラーチャシーマー県警本部長タルーンサック・スコンタマーン警察大佐、ナコーンラーチャシーマー県ムアン郡警察署長アムナート・アンアートガーム警察中佐、そして関係諸機関の担当官を連れ、現場に赴いた。

ロイヤルプラザ・ホテルの記録を調査した結果判明したのは、当時このホテルには5人で構成される役員会があり、ルーポン・パッタナチットウィライ氏が取締役会長を務め、1984年に市の発行した1983年10月24日付け許可証11/2527番に従って工事を開始した。地下を含む4階建ての建物の建設許可申請であり、申請人はナロン・ナンタマースック氏、部屋数は62で、後の1990年にロイヤルプラザ・ホテル社は許可証644/2533番に基づき建物を6階に増築した。

1990年3月20日に部屋数は134室に増加し、1993年にはさらに9室の増築を申請、その作業は、設計者かつ建築家のバムペン・パンラッタナイサラ氏と助手技師スワット・タンタヌック氏による建設会社、有限会社ウォンシンタイによって施工されている最中だった。この会社が建築許可を申請したとき、ニワッチャイ・スチャーダーラット氏がナコーンラーチャシーマー市長を務め、プラチット・ウォンマリー氏がナコーンラーチャシーマー市自治委員と施工認可責任者を務めていた。

当時のニュース映像 http://www.youtube.com/watch?v=UxoIBkHHOfY&NR=1

(後略)