2010年10月8日金曜日

俳優ミット・チャイバンチャーの事故死


ソース
มิตร ชัยบัญชา - การเสียชีวิต

1970年、ミットは「インシーデーン」(อินทรีแดง)の6回目の映画化となる「インシートーン」の撮影に、監督兼主演俳優として参加した。ミット演じるローム・リッティクライことインシーデーンが、カチット・クワンプラチャー演じる偽インシーデーンの調査に乗り出すという筋書きで、他にも役者のペッチャラー・チャオワラートとワートサナーが参加していた。

1970年10月8日、チョンブリー県南パタヤにあるドンターン浜でラストシーンの撮影が行われるまでは、撮影は順調に進んでいた。インシーデーンが悪者を退治したあと、悪者のアジトを取り込んだ警官から逃げるため、ワートサナーが操縦するヘリコプターから垂らされた縄ばしごに掴まり、カメラはインシーデーンを連れたヘリコプターが飛び去る姿を撮影する予定だった。


本物らしく見せるため、また代役が着る衣装の準備が整ってなかったため、ミットは綿密に決められた撮影手順に従って、自分自身がこの場面を演じることに同意した。しかしミットは技術的な問題、すなわち撮影中は上昇する機体に振動が発生するということを知らなかったと思われる。ミットは縄ばしごに足を掛けることができず、はしごにぶら下がったままとなり、ヘリはカメラの前を通過した後も降下しなかった。ミットは両足の裏を合わせ打ち鳴らして知らせようとしたが、操縦士は異常にも地上からの知らせにも気が付かないまま高く上昇し、機体を反転させ強い力で振り回したため、ミットはぶら下がり続けることが出来ずにヘリコプターから落下、90mの高さから地面に激突した[9]。彼は上記のヘリコプターで5分以内にシーラーチャー病院へ搬送されたが、すでに手遅れだった。検死の結果によれば、怪我は体のあらゆる部分に及んでおり、ほぼ即死の状態で、手首には深さ2cm長さ8cmの紐による外傷、右あご骨を骨折、右頬骨を骨折、右耳から出血、右肋骨5本を骨折、右大腿骨を骨折、上腕骨を骨折、死亡時刻は16時13分頃であった[17]。

1970年10月9日、タイのあらゆる新聞が一面で彼の死を伝え、その知らせは日本や香港、台湾まで届いた。彼の死が報じられると、彼の財産の大部分は3軒の家から運び出され、死に水を取るときに着せる服が一着もなかった[19]。


ミット・チャイバンチャーの遺体はケーナーンルーン寺に安置され、死後100日が経った1970年10月21日に荼毘に付され、式には数万人の人々が押し寄せた。火葬はケーナーンルーン寺からテープシリン寺に場所を移して行われ、参列した人々は30万人を数えた。ククリット・プラモートはこの式の様子を、いままで行われた一般人の葬式で最も参列者が多かった式、と述べている[3]。