2011年12月16日金曜日

予言に反論 プミポンダムは決して壊れない

(プミポンダム - wikipedia より)

ソース
เขื่อนภูมิพลโต้ ไม่มีวันแตกได้ ตามที่ทำนาย

ここ数日というもの、インターネットの Facebook でさかんに飛び交っている噂がある。2012年の元旦にターク県サームガオ郡にあるプミポンダムが崩れることを、プラーブーという少年が38年前に予言したという話だ。この噂でターク県と、その周辺にあるガンペンペット県、ナコンサワン県の住民は驚いた。もしダムが崩れたら、この住民たちが住む地区に大量の水が流れこむことになる。ターク県庁には問い合わせの電話が殺到した。

サーマート・ローイファー ターク県知事は次のように語った。新年にプミポンダムが壊れると予言した、インターネットに流れているプラーブー少年の噂は、多くの人々をパニックに陥れている。家や田を売りお金を持って安全な場所へ逃げたいと、電話で相談してくる人もいる。皆さんにお願いしたい。噂を聞くときは冷静になってほしい。このようなことは起こりえない。プミポンダムが貯水量は多いことは事実だが、安全かつ十分な強度を持っており、7リクターの地震の振動にも耐えられる。いままで最大の地震は3リクターにすぎず、ダムは断層の上にあるわけでもないので、安心してほしい。噂に惑わされて土地を売って逃げる必要はない。

ナロン・タイプラユーン プミポンダム所長は次のように語った。地震が発生するのは非常に稀である。プミポンダムは、アメリカのフーバーダムを参考にして設計されたコンクリート・アーチ型ダムであり、全ての力は山 -ゲーオ山とタム山- にかかっている。揺れるときは山と一緒になって揺れる。山が壊れない限り、ダムも壊れることはない。

2011年10月20日木曜日

プミポンダム、緊急放水

ソース
'เขื่อนภูมิพล' เปิดประตูระบายน้ำฉุกเฉิน

(プミポンダム - wikipedia より)

プミポンダム所長は、発電機1台が故障したため、緊急放水口を開く必要があった。ただし、一日当りの放水量は依然として6,000万㎥であり、現在タイ中部にある水量には影響ない、と述べた…

プミポンダム所長ブンイン・チューンチュアリット氏は、10月20日、ターク県サームガオ郡で次のように述べた。現在、プミポンダムは緊急放水口をもう1回開き、放水量を増やしている。現在の発電機8台の最大処理能力は1日当たり6,000万㎥だが、このうちの1台が故障したために、1日当たり5,000万㎥しか放水できない。今は北部からのダムに流れ込む水の量が多いため、一日当り6,000万㎥を放水しなければならない。そこで緊急放水口を開き、1,000万㎥、すなわち故障した機械の分だけ放水する必要があった。

つまり、今も放水量は6,000万㎥のままである。また、ブンイン氏は次のように述べた。緊急放水口の最大放水量は5億㎥だが、今回開いたのは1回、1,000万㎥を放水しただけである。チャオプラヤー川流域の住民、ならびにタイ中部の住民には、プミポンダムがまた緊急放水口を開いたとのニュースに驚かれないようお願いしたい。

この6,000万㎥という放水量は、水は10日間をかけて下流に達するため、現在タイ中部で起きている洪水を悪化させるものではない。現在のプミポンダムの貯水位は259.95m、最高貯水位は260mで、貯水量は134億4,700万㎥、最大貯水量は134億6,200万㎥ であり、余裕は1,500万㎥、すなわち0.12%である。本日7,600万㎥の水が流入し、6,000万㎥を放水したことで、貯水量は上がりつつあるため、再度緊急放水口を開く必要があるかもしれない。ランパーン県から来るワン川の水位も上がっているため、ピン川の水量は2,500万㎥増加している、とブンイン氏は述べた。

2011年8月14日日曜日

チェン貨幣

英語 :Chiang money, Jiang money または Kakim money
タイ語:เงินเจียง または เงินขาคีม

ソース เงินเจียง


材質は銀、ラーンナー王朝で使用された。1世紀以上の長期に渡って一定の外形を保ち、タイ王国の北部、ラーンナー王朝、さらにはビルマ、ラオスで貨幣として用いられた。銀の含有率は貨幣重量の 85‐90% 程度で、貨幣ひとつづつにその鋳造場所が刻印されている。刻印には、セーン、ナーン、ルアン、ソーイ、ユワン、ロップファーンなどがある。各種の刻印からは、鋳造場所が10箇所以上存在していたことがわかる。また、チェン貨幣の側面にある刻印から、この種の貨幣が流通したのは400年以内であることもわかる。

チェン貨幣が都市により異なることは、支配地区名の刻印を観察すれば明らかである。しかし重量が 60-63g であることは共通しており、その価値は1タムルン(=4バーツ)に等しい。


チェン貨幣の刻印

チェン貨幣はスコータイの4バーツの重量を基準として鋳造された。両足には貨幣鋳造権者の記号と都市名が刻印され、末端にはチェン貨幣の貨幣価値が刻印されている。刻印の文字は、初期はスコータイ文字が使われていたが、後にはタイファクカーム文字 (อักษรไทยฝักขาม ランナー文字の前身) に置き換わった。

かつてのラーンナー王朝は50箇所以上の都市を支配していた。各都市は、決められた重量と外見を持ち両足に都市名を刻印したチェン貨幣を鋳造し、流通させることができた。ある複数の都市では同じ刻印を使用しており、これは親族関係にある人物が支配していたものと推測される。発見されるチェン貨幣の中で最も多いのは、刻印がチェンセーンとチェンマイのものである。この二つの都市は、かつてはラーンナー王朝の王都であった。


同一都市で鋳造されたチェン貨幣2個の比較。ただし刻印は異なっている。

本物のチェン貨幣には、片側に3つずつ刻印がある。刻印の大きさは同じくらいで、小さすぎることはない。


写真の左側にある刻印は、都市支配者の刻印である。王族の家系を継承しているかにより刻印は大きく異なる。

写真の右側にある刻印は、重量が4バーツ、すなわち1タムルンであることを示す。通常、足が2本のチェン貨幣は4バーツである。

真中にある刻印は、貨幣が鋳造された都市の名前を示す。例えば、「セーン」ならチェンセーンを意味し、「チョム」ならチェンマイ、ナーン、ユアンであり、「ルアン」ならルアンパバーンであろう。

訳注:ここ以外の情報にはルアンパバーンの記述がなく、かつてのラーンナー王国の支配はルアンパバーンまで及んでいないため、この記述は間違いかもしれない。チェンラーイの「ルアイ」と間違えた?


チェン貨幣の鑑定

現在、チェン貨幣を探すことは非常に困難である。市場におけるチェン貨幣の価格は、銀それ自体の価格の数倍になっているため、贋作を作り収集家を騙して販売する者がいる。純銀または大量のルピー硬貨をチェン貨幣と同じ4バーツに計量して、溶解して新しいチェン貨幣を鋳造し、模倣した刻印を両足に刻む (筆者はかつてチェン貨幣とルピー硬貨の銀純度を計測したことがある。その結果はほぼ同じ 90% であった)。


偽チェン貨幣の判別

複数の方法がある。基本的な方法は、重量と大きさを計ることである。これは特別な技量を必要としない。

次に有効な方法は、都市の刻印とチャクラの刻印の観察である。贋作はまだ完全に模倣できていない。市場に流通している本物の数が少ないために、贋作の進歩は非常に遅い。どれが本物でどれが贋作かを比較し、判別するにはそれなりの知識と経験が必要だが、一番良い方法は本物と並べることである。


切断と切込み

切断と切込みが、チェン貨幣が本物であることを証明する古代の方法だった。切り込みを入れることで、チェン貨幣の内部の材質を確認し、外側に銀メッキをしただけではないことがわかる。切り込みは、チェン貨幣の足に刻印を押した直後に、内部の材料を明らかにするために行われる。

筆者はこの部分をチェン貨幣の真贋を判断するために活用しており、それほど難しくはない。本来は切断により作られる切り込みの痕が、現代において鋳造されたチェン貨幣の贋作では、チェン貨幣の鋳造前から痕が作られている。つまり、切断または切り込みの目的を履き違えているわけだ。贋作のチェン貨幣では、切れ込み痕に鋭さがなく、また自然さに欠ける。本物の切れ込み痕は非常に鋭い。中央部の切れ込みは、チェン貨幣の側面、金属の表面にたった1回だけ強い力で刻まれる。下部の刻み目は、1回のみもしくは複数回刻まれる。

下側の表面付近に見られる、繊維の跡にも注目。この跡は各都市で使用した物質と溝掘りの方法によって異なる。下記に紹介する各都市のチェン貨幣から観察できる。


チェン貨幣の下側に「ルアン(ルアンパバーン)」の刻印がある。切断によってつけられた、このような痕跡がなければならない。


チェン貨幣の下側に「チョム(チェンマイ)」の刻印がある。切断によってつけられた、このような痕跡がなければならない。


チェン貨幣の下側に「セーン(チェンセーン)」の刻印がある。切断によってつけられた、このような痕跡がなければならない。


チェン貨幣の下側に「ソーイ」の刻印がある。切断によってつけられた、このような痕跡がなければならない。


チェン貨幣の下側に「ナーンまたはヌアン」の刻印がある。切断によってつけられた、このような痕跡がなければならない。


チェン貨幣の下側に「チョム(チェンマイ)」の刻印がある。切断によってつけられた、このような痕跡がなければならない。


大きさが半分のチェン貨幣

ときおり大きさが半分、もしくは足が1本しかないチェン貨幣を見かけることがある。これは、使用者が1/2タムルン=重さ2バーツ分だけ支払う必要があったことを意味する。重量は 29-32グラムで、その貨幣の状態により差がある。さらには、1/4タムルンのチェン貨幣が見つかることもある。これは1バーツ分だけ支払う必要があったことを意味する。


1/2タムルン=2バーツのチェン貨幣。チェンセーン製。


1/4タムルン=1バーツのチェン貨幣。


他の原料を使ったチェン貨幣

他の原料で鋳造された古いチェン貨幣は、素焼きまたは鉛で作られ、銀メッキはされていない。鋳造された目的は貨幣ではなく、結婚する新郎新婦への記念硬貨であったり、タイ北部で精霊へのお供え物であることが多い。ラーンナーの時代には、儀式を執り行ったチェン貨幣を家の塀と都市の外壁の中心に埋め、悪霊やお化けの危険を防ごうとする人もいた。


銀以外の原料で鋳造されたチェン貨幣は、通常のチェン貨幣と同じ大きさだが、重さは軽い。表面には都市名と刻印の代わりに模様が刻まれている。記念硬貨として、または古代の人々が信じる悪霊を防ぐ儀式などで使うことを目的としている。


このチェン貨幣は、普通のチェン貨幣よりも小さい。上と同じく儀式で使われた。


贋金

代金の決済に貨幣が用いられるようになると同時に、贋金作りの鋳造も始まった。王朝の発行する貨幣に贋金が流入すると、王朝の貨幣への信用も低下した。

贋金作りにはさまざまな方法がある。本物と全く同じ模倣品を新たに作ることもあるが、古代における一般的な贋金は、品質の劣った材料で作られ、表面を銀メッキすることで、より価格の高い銀に見せかけている。しかし内部は錫、銅、鉛である。

古代の石碑「マンラーイサート」には、贋金を作った者に対する刑罰が次のように刻まれている。

金、銀、銅、貨幣刻印を偽造した者は死刑に処し、家族を逮捕拘束すべし。その方法を知る者及び贋銀を偽造し使用した者は死刑に処すべし。命を奪わない場合は財産を王家が没収する。(以下訳略)


参考文献
ナワラット・レーカクン著 「貨幣 バーツ 硬貨 紙幣」 2004年第3版

訳注:ここにチェン貨幣の一覧がある。

2011年7月18日月曜日

弾丸硬貨


(弾丸硬貨 - タイ中央銀行のウェブサイトより)


弾丸硬貨とは、かつてのタイ王国において、スコータイ王朝からアユタヤ王朝、チャクリー王朝まで、約600年の長期にわたり流通した貨幣である。貨幣価値に見合った重量の純銀の棒の両端を、内側に折り曲げて作られる。外観が火縄銃の弾丸とよく似ているため、英語では Bullet Coin と呼ばれる。

スコータイ王朝は弾丸硬貨の鋳造権を独占しなかったため、銀の重量と大きさは多種多様である。後のアユタヤ王朝は一般による貨幣の鋳造を禁じたため、弾丸硬貨は規格化され、2つの重要な刻印、すなわち王朝印と王印が刻まれた。弾丸硬貨は長期に渡って流通したが、ラーマ4世の時代になると商業が発展して貨幣の需要が増加し、人力で鋳造していた弾丸硬貨の供給が不足し始めた。貨幣を鋳造する必要に迫られたラーマ4世は、硬貨製造機の輸入を命じたが、弾丸硬貨の流通は依然として認めた。弾丸硬貨は1904年10月20日に廃止され、欧州と同じ円盤状の硬貨がタイ王国の貨幣になった。

検索用:弾丸コイン、弾丸貨幣、Pot Duang、弾丸形貨

2011年6月9日木曜日

空軍、世界大戦の戦闘機を発掘


ソース
ทอ.ยุติขุดหาบินรบสมัยสงครามโลก キャッシュ

空軍文書局長が第二次世界大戦当時の飛行機 P-51D マスタングの調査を終えたと、大量の部品発掘後に発表。失われた部品はすでに地元住民が持ち去ったか…

記者の報告によると、6月9日、空軍文書局長チンチャート・ブンコン少佐と空軍兵士数十名は、P-51D マスタングの残骸に関する調査を終えた。この飛行機はかつて "2 Air Commando Group" に所属し、第二次世界大戦当時の1945年4月9日にドンムアン空港とナコンパトム県トンサムロング空港を攻撃している。機は、ベンジャマート・アコンデートデーチャーチャイさんが所有する、パトゥムターニー県ラートルームケーオ郡クーバーンルアン区5番地パトゥムターニー・ラートルームケーオ通り周辺の空地に埋没していたのを、ラートルームケーオ郡長ナリン・ワンナマヒン氏が協力して調査を行った。この土地のかつての持ち主が、ここで飛行機を見たことがあるとの噂があった。

空軍文書局長チンチャート少佐は次のように述べた。
「空軍兵士が地面を掘り進めていったところ、今日になって飛行機の部品を発見することができた。見つかった部品は、完全に原型を留めている大型プロペラ3枚、番号 615851 (USA) 24N PE604 が付いた大型エンジンで、他にもさまざまな部品の破片が大量に見つかった。本体には主翼があるが、尾翼はまだ見つかっていない。見つからない部品は脱落したか、もしくは噂されているように住民が持ち去ったものと思われる。担当者と専門家が金属探知機で探しても見つからなかったため、以後の調査は行わない予定だ」

今回の調査では労力に見合った残骸が発見されており、今後は空軍博物館へ移送、保管され、学生や一般市民に向け展示される予定である。

2011年6月3日金曜日

大きさ3メートル以上の巨大エイ、チャオプラヤー川岸に出現!

(ヒマンチュラ・チャオプラヤの標本 - wikipediaより)

ソース
ชาวบ้านตื่นปลากระเบนยักษ์ยาวกว่า3เมตรโผล่ริมแม่น้ำ キャッシュ

巨大エイがチャオプラヤー川岸に出現して住民は仰天。死ぬ寸前で息も絶えだえ。パトゥムターニー県知事の予想では砂糖運搬船の転覆が原因。エイは岸辺に泳ぎ着き、漁業組合はそれを水に戻したが…


6月2日21:00、本紙記者はパトゥムターニー県サームコーク郡クローンクワーム区に住む市民からの連絡を受けた。巨大なエイが家の下の水路に浮かんでおり、近所の住民と協力して捕まえたという。知らせを受けた記者は急いで現場に赴いた。

現場に着くと、そこには多くの人が集まってエイを見物していた。検証の結果、見つかったのは巨大なエイで、頭から尻尾までの長さは3メートル以上、胴体の幅は約2メートル、重さは400kg以上であることがわかった。集まった人々は手にした携帯電話で写真を撮影し、写真に撮った巨大エイを眺めていた。これほど大きなエイは、誰も見たことがないと言う。

取材を行い、近所に住むアンポーン・ホントーンさん(32歳女性)に話を伺った。
「この巨大エイが川に浮いているのを見たのは今日の夕方頃でしたけど、そのときは何とも思いませんでした。ところが22時頃になって、家の下にある水路へ行ってみると、このエイが浮いていたんです。そこで近所の人を呼んできて、みんなで一緒になって捕まえました。それから県の漁業組合に連絡して、エイを助けてほしいとお願いしました。だいぶ弱っていましたから」

23時半になり、パトゥムターニー県知事ウィラサック・ヒンムアンガオ氏と、パトゥムターニー県漁業組合タノン・タケーオトッサポン氏が現場を訪れたが、エイを救うことはできなかった。このエイはその後まもなく死んでしまったのである。パトゥムターニー県知事は次のように語った。
「このエイが浅瀬に上がってきたのは、アユタヤ県で起こった砂糖運搬船の転覆が原因だろう。その影響でエビ、貝、カニ、魚すべてが岸に上がろうとして命を失っている。エイの死骸は住民から譲り受け、パトゥムターニー県漁業組合が預かり、サームコーク郡漁業局で保存する予定だ」

#訳注:この巨大エイは「ヒマンチュラ・チャオプラヤ」というそうです。詳しくはWikiの淡水エイを参照。

2011年3月17日木曜日

ベトナムに史上初の降雪 津波の影響か

ソース
ฮือฮา!หิมะตกเวียดนามครั้งแรกในประวัติศาสตร์ คาดอาจเกี่ยวสึนามิ キャッシュ

ベトナム北部サパの町に初めての降雪。ベトナム全土の住民がびっくり。日本の地震と津波の影響?

外国通信社の報道によると、3月17日、ベトナム北部にある有名な観光地サパの町で、初めての降雪が観測された。ベトナム全土の住民からは驚きの声があがり、一夜明けると全世界の大ニュースになった。

報道によると、異変が起きたのは3月16日の早朝で、サパの町に初めて雪が降った。サパの町はベトナム屈指の観光地であり、ベトナムの北部ラオカイ省にあり、中国の国境近くに位置する。

ラオカイ省天気予報局ファーム・グアン・ホー局長によると、現地時間16日午前5時ころからサパの町に雪が降り始めた。この地方に雪が降るのはこれが初めてで、9時15分頃になると、降り積もった雪の厚さは2.5センチになった。

「今回の降雪にはみんなビックリしました。自分の目で雪を見ようと、たくさんの人々が道路に出てきました」とファーム・グアン・ホー局長は語った。

3月11日に日本本州でマグニチュード9の地震と津波が起きてからというもの、世界各地で異常気象が発生しているとの報告がある。ベトナムの首都ハノイでは、日中の気温は11度まで下がり、16日の夜には9度まで下がった。

2011年3月16日水曜日

優しいタイ国税局 東日本大震災への寄付を控除

ソース
สรรพากรใจดี บริจาคดินไหวญี่ปุ่นหักภาษีได้

国税局、タイ人の日本の地震被災者への寄付控除を認める。


国税局は、日本の地震被災者への金銭・物品による寄付は控除し、税金支払いの軽減または免除を認めると発表した。

個人で寄付をする場合は、3・5・7・9チャンネルの各テレビ局を通じて義援金を銀行に振込むこと。実際に振り込んだ額を、支払い後の収入の10%を限度として控除できる。

会社・法人が寄付をする場合は、実際に寄付した額を控除できる。ただし寄付を行う会計年度における純益の2%を超えないこと。

2011年3月13日日曜日

3月14日、タイ医師団が日本へ出発

ソース
ทีมแพทย์ไทยเดินทางไปญี่ปุ่น14มี.ค.

タイ外務省、日本の被災者に義援金と支援物資を寄付

タイ外務省は日本の被災者への支援を受け付けを始めた。毛布などの支援物資の寄付を希望される方は、シーアユタヤー通りにあるタイ外務省か、ジェーンワッタナ通りにある外務省領事局で、毎日8:30~16:30にお持ち寄り下さい。土日も開いています。義援金を送りたい方は、外務省が開設した口座 クルンタイ銀行サームヨート支店 普通預金 口座名 เงินบริจาคช่วยเหลือผู้ประสบภัยที่ญี่ปุ่น(日本被災者義援金) 口座番号 002 0 271 468 へお送りください。


タイ赤十字が外務省との日本支援を準備

タイ赤十字の広報の発表によると、タイ赤十字はタイ外務省と協力して打ち合わせを行い、今回の被災者を最大限に支援するため、要請を受けた内容について検討する予定。タイ赤十字を通じて被災者へ義援金を送りたい方は、クルンタイ銀行 当座預金 口座番号 023 6 06799 0 へ送金し、振込用紙の控えを、ファックスで 0 2652 4440 へ、または電子メールで pr-fund-rc @ hotmail.com へお送りください。お問い合わせは電話 0 2256 4440 か、サービスセンター電話 1664 へお問い合わせください。

(ソース記事の一部を抜粋)

2011年3月7日月曜日

ジャコウネコのウンチコーヒーを求めるカンチャナブリ県民 一杯500~1,500バーツ

(インドジャコウネコ - wikipediaより)

ソース
ชาวกาญจน์แห่ชิมกาแฟสดผลิตจากขี้ชะมด แก้วละ 500-1,500 บาท

3月7日朝8時、記者はカンチャナブリ県ムアン郡ゲーンシアン区セーンチュートー通り1番地105号にある、「奥様畑で採れたコーヒーのお店」(Coffee Rai Khun Ying)を訪ねた。ここに来た理由は、コーヒー愛飲家たちがとぎれることなくこの店を訪れ、ジャコウネコのウンチから作られるコーヒーを一杯500~1,500バーツで飲みにくると聞いたからである。自分で淹れて飲むために購入して家へ持ち帰る人もいるが、その価格は1キロで10万バーツという。店に着くと、店を経営するスラーチェート・ユットスントーンさん、スジタラー・ユットスントーンさん夫妻と10人以上の従業員が、忙しそうに客の応対をしていた。

店を経営するスラーチェート・ユットスントーンさんに後で話を伺った。
「店を訪れるお客は、公務員や、経営者、ふつうの人たちとさまざまだけど、共通しているのはみんなコーヒーが好きなんだね。注目してほしいのは、お客が注文するのはジャコウネコ(またはハクビシン)の排泄物から作られるコーヒーということ。このコーヒーは一杯500バーツから1,500バーツで、お客の求める風味によってそれぞれの値段が付いている。コーヒーの量は、ふつうのお店が出す一杯と変わらない」

「値段は高いけど、お客さんも覚悟の上、納得してお金を払ってくれる。一部のお客さんは、持ち帰って家で淹れて飲みたいと、1キロ10万バーツでコーヒー豆を買っていく。このコーヒーが高価なわけは、原材料が手に入りづらいことと、製造工程がとても難しいことだね。お客さんに出すまで、製造には1年もかかる。この製造方法は、自分と妻で3年がかり試行錯誤を繰り返したあげく、やっとお客さんに販売できるようになった。ジャコウネコの排泄物から作られるコーヒーは、すべてのコーヒー愛飲家たちが夢中になる豊かな風味を持つだけでなく、内蔵を癒すと信じられているよ」

自分はタイで初めてジャコウネコの排泄物から作られるコーヒーの配合を考え、不思議で、新しく、かつ濃厚な味を完成した。しかし、いまのところ県外への販売は十分とはいえず、とくにタイ南部・中部地方へはまだまだこれからである。

カンチャナブリ県でこのコーヒーを販売しているのは、唯一自分の店だけだ。このコーヒーは外国からの需要が多く、特に多いのは日本、韓国、欧州である。ジャコウネコはタイの動物保護法の指定を受けた保護動物であり、天然資源・環境省の法律によって野生保護動物に指定されている。

将来は、ジャコウネコの商取引が可能になり、農家の貴重な収入源になり、国に莫大な利益をもたらすと思う。現在、生物経済開発事務局では、ジャコウネコの養殖を振興するプロジェクトを予定している。これによって、豊かな収入が得られるだろうと、スラーチェート・ユットスントーンさんは語った。

このお店の常連客、ユッティ・サワットさんに話を伺ってみた。
「私はコーヒーを飲むのが好きで、この店がジャコウネコの排泄物から作られるコーヒーを出して以来、ここの常連になっている。最初はあんまり飲む気がしなかった。けどコーヒー愛飲家たちが何人もやって来るのを見て、財布を叩いて500バーツを払うことを決心した。飲んでみたら、この価格にふさわしいコーヒーだとよくわかった。でも、自分がいままで飲んだ、最も高価なコーヒーでもある。試しに飲んでみると、このコーヒーの香りが口いっぱいに広がり、不思議で新しく、濃厚な味がするね。500バーツ以上の価値があることは間違いないよ」

参考リンク
おまけ
BTS の Chong Nongsi駅、Siam方面行きのホームから覗いた真下にある Dean & DeLuca というお店では、一杯1,000バーツでコピ・ルアクが飲めるそうです。

動画

2011年3月1日火曜日

「小さな尼さん」と「カラス飼育家」のニュース写真が、2010年報道大賞

ソース
ภาพข่าว'แม่ชีน้อย-คนเลี้ยงกา'สุดยอดอาชญากรรม 53 キャッシュ

2010年度事件報道コンテストにおいて、「タイラット」紙が新聞報道大賞・写真部門で優勝。受賞写真は「小さな尼さん」と「カラス飼育家」。

3月1日午前9時、タイ事件報道協会タイシロート・ミンクワン代表は、2010年度事件報道コンテストの結果を発表した。報道写真部門においては、2月5日から28日にかけてインターネットを通して一般読者からの投票が行われた結果(People Awards)、新聞部門の最優秀賞は、タイラット紙所属、プラシット・ニウェートーン氏撮影「小さな尼さん」が受賞。1位はデイリーニュース紙所属、サーサナ・シリラープ氏撮影「超緊張」。2位はタイラット紙所属、タウィーチャイ・チャンタウォン氏撮影「カラス飼育家」。3位はデイリーニュース紙所属、チエンマイ県報道チーム撮影の「オージー・マニア」がそれぞれ受賞した。

テレビ分野の報道映像部門では、3ミティ撮影の「RKK包囲網」が最優秀賞を受賞。1位はCH9の「トンブリー地区カジノ急襲」、2位はCH11の「船上の出産」、3位はCH7の「悩める白人」が受賞した。

タイ商業大学情報学科のソーポン・カンハセーン常任講師は、報道写真について以下のように意見を述べた。事件写真というものは、ほとんどが2種類に分けられる。過激なものと、過激でないものだ。今回の結果を見れば、報道写真は必ずしも過激である必要がないことがわかる。「小さな尼さん」が托鉢をしているのを見れば、可愛らしい、守ってあげたいと、ゆったりとした気持ちになり、この社会を覆う過激さや自然災害の憂鬱を和らげてくれる。他の写真でも、人の心境を写した感情に訴えかけるものがあり、このことからも、流血と死体だけが新聞の報道写真ではないと言うことができるだろう。

テレビ分野の報道映像部門について。一般的なテレビ放送には画像と音声がある。実際に事件が起こっている場所からの映像は感情に訴えてくる。いま銃を撃っている。いま事件が起こっている。視聴者の興味に訴えかけ、面白そうだと知名度を上げれば有利になるだろう。というのも、いまの社会には動画がある。インターネット上の動画は、秘密を暴き、暴露し、スクープを報じて人気を集めている。その例がカジノの秘密を暴いた動画である。撮影した映像が犯罪の証拠にもなっており、マスコミの務めを十分に果たしたとも言える。いずれにせよ、報道側の知識と、動画の即時性、普及度、手軽さの組み合わせは、インターネットによる報道のひとつの進むべき道といえるだろう。

2011年1月24日月曜日

「パープルライン」を点検、一年経っても問題は相変わらず「土地収用 - 予定地に入れず」

ソース
ตรวจไซต์ "รถไฟฟ้าสีม่วง" 1 ปี ปัญหาเดิม ๆ "ติดเวนคืน-เข้าพื้นที่ไม่ได้" - プラチャチャート紙

パープルライン電車計画は、ノンタブリ住民の希望の星であるものの、いくつかの問題を抱えている。全長23kmにおいて、3つの大きな問題が挙げられる。

すなわち、1、複数の区域で土地の受け渡しが遅れている。2、バンコク―ノンタブリ通りの幅は4車線で非常に狭いため、基礎杭の打ち込みや、土台・高架の建設を、道路の真中で行うことが困難である。工事業者は、渋滞を引き起こさないよう、作業を夜間のみ行なっている。

3、雨季の異常水量。前回の雨季では、チャオプラヤー川の水位が異常上昇したため、チャオプラヤー川を越える建築物と、「プラナングラオ橋」駅の建築に大きな影響を与え、建設が一時中断した。

しかし、エアポートリンク線と同じように長期間延期されるのではないか、との心配には及ばない。

タイ国鉄が2010年12月に発行した最新の報告書によれば、現在の進捗率は 15.38% と良好であり、計画よりも 0.35% 進んでいる。進捗率はまだ低いものの、計画通り 2014 年には間違いなくパープルラインが開通すると聞けば、待ち望んでいる市民も安心出来るだろう。

建設が順調に進んでいる原因としては、施工業者が巨大企業であることも、その一因に挙げられるだろう。計画はすばやく姿を見せつつある。

契約ごとに細かく見ると、一番最初の「第1期工事」の高架工事(東側)は、CKTCジョイントベンチャー(チョーカンチャンと東急建設)によって、2009年11月10日に工事が始められた。バンコク―ノンタブリ通りを通った人ならば、道路に支柱が規則正しく並び始めたのを目にしたことだろう。現在の進捗率は20.85%で、計画の21.73%から0.88%遅れている。

この現場では大きな問題に直面している。つまり、建設現場のほとんどがバンコク―ノンタブリ通り上にあるため、作業場所が狭く、他の場所に比べて建築の管理運営が難しい。

「第2期工事」の高架工事(西側)は、シノタイ・エンジニアリング・アンド・コンストラクションによって、2010年3月1日に工事が始められ、現在の進捗率は12.77%、計画の10.96%から1.81%遅れている。

「第2期工事」は検査工場と駐車場の建設で、「PARジョイントベンチャー」(パワーライン、アスコン、ルアム・ナコン・コーサーン)によって、2010年3月1日に工事が始められ、現在の進捗率は6.36%、計画の6.28%から0.08%遅れている。現在、施工業者は、今後の土台となる基礎杭を打ち込んでいる最中である。

この進み具合を見る限り、ノンタブリー住民は、いまからカウントダウンをしながら待っていても大丈夫そうである。

2011年1月22日土曜日

原子力発電所に反対するウボンラーチャタニー県民

(カットノン原子力発電所、フランス - wikipedia)

ソース
คนอุบลฯต้านโรงไฟฟ้านิวเคลียร์ - カオソット紙

1月21日、ウボンラーチャタニー県原子力発電所に反対する団体(名称:原子力発電所に反対するタイ人ネットワーク)約500人が、旧県庁からチャヤーンクルー通りを抜け、新県庁までの3kmをデモ行進した。先日発表されたエネルギー省とタイ発電公社による調査結果は、原子力発電所が与える影響の良い面だけに偏っていると主張し、アピシット首相宛の書簡を副知事に提出し、発電所に関する全資料を公表し、発電所建設の可否は住民に選択させ、全県民の未来を内閣に決定させないよう訴えた。

原子力発電所に反対するタイ人ネットワークの会長、ソットサイ・サーンソークさんは以下のように語った。今回集まった理由は、原子力発電所の建設による影響を心配したためで、ウボンラーチャタニー県はいまだにパークムーン発電所の問題も解決できていない。原子力発電所はパークムーン発電所よりも大きな計画であり、原子炉の冷却水として大量の水を使う必要があるため、農業向けの水を奪うことになる。また、住民は賛成派と反対派に別れてしまったため、県民自身に将来を決めさせるよう訴えている。

2011年1月7日金曜日

驚異の高速鉄道 中国-ラオス70億ドル トンネル掘削200km 汽笛第一声は4年後

(中国高速鉄道CRH5型電車: wikipediaより)

ソース
อัศจรรย์รถไฟความเร็วสูงจีน-ลาว$7พันล้าน สร้างอุโมงค์ลอดภูเขา 200 กม.4 ปีกำหนดเปิดหวูด
http://mgr.manager.co.th/mgrWeekly/ViewNews.aspx?NewsID=9540000001947

週刊プーチャッカーン360度 - 2010年の新年を迎えてまだ間もないというのに、中国人技術者と労働者には、時間に追われる重労働が待っている。彼らは、ラオスに少なくとも年あたり100kmの高速鉄道を敷設しなければならない。その期限は今から4年後、人と貨物の輸送は、メコン川流域と、中国とアジアの周辺国のあいだで新時代を開く。

高速鉄道は、中国 - ラオス国境から建設が始められる。パーカオナイ地区(เขตป่าเขาใน)を通り、総延長は421km。驚くべきことに、その3分の2以上、およそ300kmが、山を突き抜けるトンネルと、川や運河、谷を越える橋である。首都ヴィエンチャンからは、中国 - タイ高速鉄道に接続し、その先はマレーシア、そしてシンガポールへと繋がっていく。

これらの内容は、2010年12月23日、ラオスのソムサワート・レンサワット副首相が国会から意見を求めた際の計画書で明らかになった。

週刊プーチャッカーン360度が入手した、計画委員長であるソムサワート副首相の計画書によれば、トンネルの総長は190kmに及び、さらに総長90kmの鉄道橋を建設しなければならない。

建設は2011年4月25日に開始し、ラオス共和国の建国40周年である、2015年内に完成させる予定、とソムサワート副首相は述べた。

中国鉄道省は、2009年からこの計画の調査を2方面で進めており、2010年4月と8月に、ラオス土木輸送省と、建設計画を結んでいる。

11月、ソムサワート副首相は、交渉のため北京を訪問し、この歴史的な高速鉄道路線の建設計画を発表した。しかし、計画が国会の承認を得るまでは、詳細を発表していなかった。

中国側は、プロジェクト総額70億ドルの70%を負担し、その内訳は現金と機器である。ラオスは30%を負担し、その内訳は現金と建設資材であり、将来、ラオス側は必要であれば投資を増やすことができる。

ソムサワート副首相の発表によれば、中国 - ラオスの鉄道路線は、中国とアジアを結ぶ路線の一部であり、その目的は経済と投資を加速させるためである。中国はラオスを通る3路線の中から、将来バンコク~クアラルンプール~シンガポールへ接続するために、一番短い路線を選んでいる。

以前には、弾丸鉄道を思い浮かべたとき、大概の人々は「移動」を考えても、「物流」は考えず、特に人工が少ない土地を通った場合、経済的に割りに合わないと考えた。

中国 - ラオス鉄道路線は、古くさい考えを消し去るだろうとソムサワート副首相は語った。レール幅は1.435メートル、計画では高速鉄道の列車は時速200km以上で、輸送列車は時速120kmで走行する。

アジア発となる国際高速鉄道の路線には、21箇所の駅が設置される予定で、そのうち5箇所、ボーテン、ムアンサイ(ウドムサイ地区)、ルアンパバーン、ヴァンヴィエン、ヴィエンチャンは大きな駅となる予定。他の16箇所は小さな駅である。

高速鉄道は、ヴィエンチャンからタナレーンを通り、タイ・ノーンカーイへとつなげるために、メコン河を越える新しい鉄道橋を建設する予定。

全長たった3.5kmの、ラオス初の鉄道をどうするのか、見通しはまだ立っていない。また、レール幅が1メートルのため、弾丸鉄道が利用することもできない。

これ以前に、ラオス政府はタイからの援助協力を解消すると発表しており、タナレーン駅からヴィエンチャンまで、9km余りの鉄道延長は、中国 - ラオス高速鉄道に統一するとしている。

ソムサワート副首相の発表によれば、中国 - ラオス弾丸列車の追加計画として、ビエンチャンから中部地方にあるターケーク市への建設を計画しており、将来はベトナムへの接続を想定している。

ラオスを通る鉄道路線は、道程の途中に過ぎない。中国は、国境の町モーハン(訳注、原文ではブハーン)から、西双版納自治州と景洪市を通り、雲南省昆明市までの人工300万人を結びつつある。

ソムサワート副首相の発表によれば、2010年11月、タイのステープ・トゥアックスバン副相は、資金負担の話し合いのために中国を訪問しており、詳細はまだ完全には発表されていないが、現在は財務省が内閣の承認を待っている状態である。

バンコクから、マレーシアにつながるパダンブサールへの高速鉄道路線の、建設開始と完了時期はまだ発表されてないが、昆明からシンガポールまでの全距離は3,640kmになる。

2011年1月1日土曜日

合衆国内のモン族指導者、タイの「電気ショック」を暴露 難民男性300人が「オバマ」に送還を直訴

ソース
ผู้นำม้งลาวในสหรัฐปูดไทย"ชอร์ตไฟฟ้า"ผู้อพยพชายกว่า 300 คน ทำหนังสือถึง"โอบามา"ช่วยขวางการส่งคืน - マティチョン紙

合衆国内のモン族指導者は、タイ兵がモン族に電気ショック機器を使っていると、被害者からの電話を受けたと語った。350人以上の男性が暴行を受け、気絶する程の重傷を負った者も複数おり、タイ政府によるラオスへの送還に反対するよう、「オバマ」に訴えた。

12月31日のThe Fresno紙によると、アメリカ合衆国カルフォルニア州フレスノにある、アメリカにおける最も大きなラオス人とモン族の退役軍人機関である、在アメリカ・ラオス退役軍人協会は、バラク・オバマ大統領へ書簡を送り、4,000人以上のモン族難民を、タイからラオスへ送還することに反対するよう訴えた。その書簡において、在アメリカ・ラオス退役軍人協会は、送還を拒否したモン族に対し、身体に危害を加える暴力を振るったと、タイ国軍を非難している。

在アメリカ・ラオス退役軍人協会のワンイー・ワン会長は、タイにいるモン族難民から、虐待を受けているため、助けてほしいと語る電話があったと述べた。電話の主は、「ラオスへの送還を強制されており、暴行を受け、殴られている」と語った。

在アメリカ・ラオス退役軍人協会フィリップ・スミス代表によると、タイにいるモン族難民とは以前から何回も電話で連絡を取っている。複数人が電話を隠し持っており、タイの兵士にはまだ見つかっていない。350人以上のモン族男性が暴行を受けており、うち数名は重傷、数名は気絶しており、さらにタイ兵は数人のモン族に対し電気ショック機器を使っている。

同日、国連人権委員会の、拷問に関する委員フレッド・ノーワック氏と、難民人権委員ホーケー・エー・バスターマンテー氏は、タイの行っているモン族のラオスへの送還に懸念を表明した。国際社会から猛烈な反対を受けることになるかもしれないが、両名は「我々はタイ政府が全難民に対する強制送還を即時中止することを要求する。国際機関、特に国連難民高等弁務官事務所は、介入して必要な措置を取り、全てのモン族が、確実に人権が配慮された扱いを受けられるようにすべきだ」との声明を発表した。

ノーワック氏は、改めて以下のように述べた。難民ひとりひとりが虐待を受けているか、人権の原則に違反しているか否かを調べる、独立した信頼に足る調査方法は、現実には存在しない。原則に従い難民を送り返さなければ、その土地では生命と自由が脅かされる。

バスターマンテー氏によれば、送還された人々には、国連からの保護を必要としている人達がいる。例えば、申請を出したものの、まだ検討を受けていない政治的難民である。