2010年7月7日水曜日

旧都アユタヤの城壁に便器! 緊急撤去命令

ソース
ปราสาทนครหลวง พบโถส้วม สั่งรื้อออกด่วน
http://www.thairath.co.th/content/region/94492 キャッシュ

呆然、、、アユタヤ旧都の城壁に便器が発見される。大読経の最中に階下のトイレに行けない僧のため、住職が設置したものだが、すでに撤去を命令じられ…

2010年7月7日午前10時、アユタヤ県の王宮跡の外壁の上に便器があるのを、通りがかった人が見つけた。仏教の礼拝の対象としては不適当なものである。そこで記者は現場に赴き、この便器を設置した責任者である住職に取材を行った。

王宮跡寺院の住職であるクルーキッティ・パンヤーワット僧、別名スリン僧は次のように語った。便器をこの城壁の上に設置したのは、数カ月前にこの寺で大読経会が行われた際、腹の調子が悪く階下にある便所まで行けない僧のために準備したもので、城壁のいちばん端に設置したもので壁も天井もなく、3インチの下水管が城壁から出るようになっているが、まだ使っておらず、今日になって他の人から不適切であると指摘されるまで撤去するのを忘れていたので、職人にはその場所から撤去するよう命じたところだ。

王宮跡の城壁はパーサック川の東側に位置している。かつてナコンルアン(首都)区は王がサラブリーの仏足跡を参拝される際の宿泊地であり、後のソンタム王(訳注1)の時代にはロッブリーに行かれる際の宿泊地になっていたと推測されるが、煉瓦を積み石灰を塗って建設されたのは西暦1604年、プラーサートトーン王(訳注2)の時代である。王はカンボジアのプラーサートシラーを見本として、ワット・テープチャンの近くに、カンボジアへの遠征成功を祝うために作らせた。しかし建築は不完全なままで終りその原因は不明である。後に城壁とその上に仏足跡四体が作られた。城壁の横にあった王宮は廃墟と化している。

訳注1:ソンタム王:アユタヤ王朝の24代目の王。
訳注2:プラーサートトーン王:アユタヤ王朝の27代目の王。