2010年8月14日土曜日

コラート ロイヤルプラザ・ホテルの悲劇から17年

ソース
17 ปี ย้อนรอยโศกนาฏกรรม ร.ร.รอยัลพลาซ่า โคราช
http://www.thairath.co.th/content/region/103549 キャッシュ

ナコンラーチャシーマー県ムアン郡ジョームスラーンヤート通りにあるロイヤルプラザ・ホテル崩壊の事件は、タイにおける最大の悲劇のひとつであり、タイ人が心に刻むべき歴史の一場面である。当時の被害は死者137人、負傷者227人であった。タイラット・オンライン紙は1993年8月13日からの17年をもう一度振り返り、記憶に留め教訓としたい…

1993年8月13日午前10時30分、ラジオとテレビから流れる音響が静寂を破り、ナコンラーチャシーマー県ムアン郡ジョームスラー=ヤート通り547番地にある、6階建ての客室と食堂、そして娯楽を備えたロイヤルプラザ・ホテルが、ホテル従業員と宿泊客が居ながらに崩壊したとの知らせを伝えた。

教育省義務教育局の公務員や、研修に参加したシェル社の社員など、約380人が宿泊しており、137人が亡くなり、負傷者は227人、さらに多くの人々が知らせを聞いて非常に驚いた。

知らせを受けたタムロン・ラットナパーニット県知事とブンソム・ピリンユアン郡長は、第4地区警察指令シッティサック・イントムヤー警察少尉とナコーンラーチャシーマー県警本部長タルーンサック・スコンタマーン警察大佐、ナコーンラーチャシーマー県ムアン郡警察署長アムナート・アンアートガーム警察中佐、そして関係諸機関の担当官を連れ、現場に赴いた。

ロイヤルプラザ・ホテルの記録を調査した結果判明したのは、当時このホテルには5人で構成される役員会があり、ルーポン・パッタナチットウィライ氏が取締役会長を務め、1984年に市の発行した1983年10月24日付け許可証11/2527番に従って工事を開始した。地下を含む4階建ての建物の建設許可申請であり、申請人はナロン・ナンタマースック氏、部屋数は62で、後の1990年にロイヤルプラザ・ホテル社は許可証644/2533番に基づき建物を6階に増築した。

1990年3月20日に部屋数は134室に増加し、1993年にはさらに9室の増築を申請、その作業は、設計者かつ建築家のバムペン・パンラッタナイサラ氏と助手技師スワット・タンタヌック氏による建設会社、有限会社ウォンシンタイによって施工されている最中だった。この会社が建築許可を申請したとき、ニワッチャイ・スチャーダーラット氏がナコーンラーチャシーマー市長を務め、プラチット・ウォンマリー氏がナコーンラーチャシーマー市自治委員と施工認可責任者を務めていた。

当時のニュース映像 http://www.youtube.com/watch?v=UxoIBkHHOfY&NR=1

(後略)