2014年11月24日月曜日

ドンムアン・トールウェイのこれまでの経緯

ソース
http://www.thairath.co.th/content/465035 の中盤部分

「ドンムアン・トールウェイ」プロジェクトは1989年に産声を上げた。運輸省国道局は、ディンデーンからドンムアンまで距離15.4kmの区間で、高架道路の建設およびサービスの権利を民間に開放した。契約期間は2014年までの25年間。初期(1991年~1998年)の通行料は20~30バーツ、第2期(1998年~2004年)の通行料は30~40バーツに設定された。

その後1992年に、政府はアナン・パンヤーラチュン首相の「透明化」政策に基いて、建設会社による工事を認可した。延長区間はドンムアン空港からアヌソンサターンまでの距離5.7kmで、目的はドンムアン空港の前で生じるボトルネックを解消すること、そして契約者の一方である政府が、ラクシー交差点とバンケーン交差点、カセート大学前で、高速出入口の建設用地を用意し、ドンムアン高架道路社に提供することができなかったため、その損害を補償するという意味があった。

その後1995年、チュアン政権(1992年9月23日 - 1995年7月13日)下で、会社側は再度の契約修正を申請した。申請の内容は、政府は上に述べた高速出入口の建設用地を提供できず、契約に違反したというものであった。契約の修正交渉を行う前の1995年から1996年に、バンハーン政権(1995年7月13日 - 1996年11月25日)下で、独占期間が7年間延長されて2021年までとなり、通行料もディンデーンからドンムアンは20-80バーツ、ドンムアンからアヌソンサターンは15-35バーツに値上げされた。

1999年に、以前に作成された契約に基いて、会社は通行料を値上げした。値上げした全線の通行料は4輪車が55バーツ、6輪車以上は65バーツであり、さらに2004年には70バーツから100バーツへ値上げされた。しかし当時の政府(第2次チュアン内閣 1997年11月9日 - 2001年2月9日)は、変更された独占契約に基づく値上げを認可しなかった。

2004年も同様に、当時のタクシン政権(2001年2月9日 - 2006年9月19日)において、独占契約ではそのように決められているにもかかわらず、政府は70バーツへの値上げを認可しなかった。そればかりか、2005年に政府はドンムアン・トールウェイの全線通行料を4輪車は20バーツ、6輪車以上は50バーツとするように求め、2006年から2007年は全線30バーツ、その後2007年から2009年は4輪車は35バーツ、6輪車以上は65バーツとさせた。

政府が通行料の改定に介入した結果、会社側はこの件を行政裁判所に提訴し、損害の補償交渉のために仲裁人を任命した。さらには、スラユット・チュラーノン政権(2006年10月1日 - 2008年1月28日)下の2007年9月12日、第3回の契約変更が行われた。その内容は、「独占契約をさらに13年延長し、2034年までとする。また、ディンデーンからドンムアンまでの通行料を20~100バーツに、ドンムアンからアヌソンサターンまでを15-45バーツとし、内閣の承認を得る必要なしに、独占契約に基いた料金を値上げする時期の前倒しを認める」というものであった。

3回目の契約変更の結果、2009年末のアピシット政権下に、政府は現在の通行料への値上げを認可した。この値上げは市民の怒りを呼び起こすものであった。