2021年1月18日月曜日

オリエント・タイ航空とワン・トゥー・ゴー航空のオーナー、ウドム・タンティプラソン氏が死去

ソース:https://www.thairath.co.th/news/local/bangkok/2013972

オリエント・タイ航空とワン・トゥー・ゴー航空の創業者ウドム・タンティプラソン氏が死去し、タイ初の格安航空会社の伝説が幕を閉じた。

2021年1月16日、facebookのファンページ「航空パイロットの公開日誌」(บันทึกไม่ลับของคนขับเครื่องบิน)に以下の文章と写真が投稿された。

ด่วน!! อุดม ตันติประสงค์ชัย เจ้าของสายการบิน Orienthai และ วันทูโก เสียชีวิตแล้ว...

บันทึกไม่ลับของคนขับเครื่องบินさんの投稿 2021年1月16日土曜日
「オリエント・タイ航空とワン・トゥー・ゴー航空のオーナー、ウドム・タンティプラソン氏が死去しました。数日前にオリエント・タイ航空の伝説が幕を閉じた直後の出来事で、ご家族にお悔やみを申し上げます。ご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、オリエント・タイ航空はタイで初めての格安航空会社であり、ノックエアやエアアジアより以前からありました。ウドム氏はタイで初めてのLCCに挑戦した事業家といえるでしょう」
この facebookページの管理者は、当タイラット・オンライン紙の取材班に対して、現時点ではウドム氏の死因は不明である、と語った。

記者(訳注:誰?)のレポートによると、オリエント・タイ航空が初めてサービスを開始したのは1995年で、当時はオリエント・エキスプレス・エアーという名称を用いていた。ウドム・タンティプラソン氏がオーナーで、国内線を中心にサービスを提供していた。しかしその後は香港、韓国、マレーシア、シンガポールといった国際線を運行するようになった。そして2003年には国内線事業のためにワン・トゥー・ゴー航空を設立した。この2つの航空会社はタイ初の格安航空会社であり、国際線と国内線の運賃の最安値はたった数千バーツだった。 

しかしオリエント・タイ航空は2018年に全ての事業を恒久的に停止した。これは、タイ航空公社への駐機代や、タイ航空無線局の航空管制サービス利用料を含む、さまざまな組織への支払いが滞っていたため、タイ民間航空局から運行免許の無期限停止を命じられたことが原因である。 

フランスのパリ裁判所は2019年9月4日、2007年9月16日にプーケット空港の飛行機事故に関して、ウドム氏に懲役4年及び補償金7万5千ユーロの支払いを命じる判決を下した。この事故では乗客123人、乗務員7名のうち90名が亡くなっている。死者の内訳はタイ人が33名、外国人が57名で、その大部分が英国、イスラエル、フランスからの観光客だった(『フランス裁判所、プーケット空港で起きたワン・トゥー・ゴー航空の事故で、CEOに懲役4年の判決』(タイ語))。

一方、2021年1月5日に官報のウェブサイトには、オリエント・タイ航空の無条件資産差押えを命じる執行官の告示が掲載された。これは、エアロパーツ・インターナショナル社(Aero Parts International LLC)が中央破産裁判所に訴えたことにより、去る2020年10月26日に裁判所がオリエント・タイ航空に無条件資産差押えを命じたことを受けたものである。

したがって、債務者の事業と資産に関する全ての権限を執行官に与えることを裁判所が命じた後、それが官報で告示された日から1ヶ月以内に、債務者と債権者は、債権と債務者の資産に関する情報を執行官に知らせなければならない。従わなかった場合は法律により20万バーツ以下の罰金が課される。

本件において、債務返済を希望する債権者は、原告であるかそうでないかに関わらず、官報で告示された2021年1月5日から2ヶ月以内に、被告の住所を管轄している強制執行事務局または事件執行事務局の係官に債務返済申請書を提出しなければならない。詳細は官報ウェブサイト www.ratchakitcha.soc.go.th で確認できる。

2014年11月24日月曜日

ドンムアン・トールウェイのこれまでの経緯

ソース
http://www.thairath.co.th/content/465035 の中盤部分

「ドンムアン・トールウェイ」プロジェクトは1989年に産声を上げた。運輸省国道局は、ディンデーンからドンムアンまで距離15.4kmの区間で、高架道路の建設およびサービスの権利を民間に開放した。契約期間は2014年までの25年間。初期(1991年~1998年)の通行料は20~30バーツ、第2期(1998年~2004年)の通行料は30~40バーツに設定された。

その後1992年に、政府はアナン・パンヤーラチュン首相の「透明化」政策に基いて、建設会社による工事を認可した。延長区間はドンムアン空港からアヌソンサターンまでの距離5.7kmで、目的はドンムアン空港の前で生じるボトルネックを解消すること、そして契約者の一方である政府が、ラクシー交差点とバンケーン交差点、カセート大学前で、高速出入口の建設用地を用意し、ドンムアン高架道路社に提供することができなかったため、その損害を補償するという意味があった。

その後1995年、チュアン政権(1992年9月23日 - 1995年7月13日)下で、会社側は再度の契約修正を申請した。申請の内容は、政府は上に述べた高速出入口の建設用地を提供できず、契約に違反したというものであった。契約の修正交渉を行う前の1995年から1996年に、バンハーン政権(1995年7月13日 - 1996年11月25日)下で、独占期間が7年間延長されて2021年までとなり、通行料もディンデーンからドンムアンは20-80バーツ、ドンムアンからアヌソンサターンは15-35バーツに値上げされた。

1999年に、以前に作成された契約に基いて、会社は通行料を値上げした。値上げした全線の通行料は4輪車が55バーツ、6輪車以上は65バーツであり、さらに2004年には70バーツから100バーツへ値上げされた。しかし当時の政府(第2次チュアン内閣 1997年11月9日 - 2001年2月9日)は、変更された独占契約に基づく値上げを認可しなかった。

2004年も同様に、当時のタクシン政権(2001年2月9日 - 2006年9月19日)において、独占契約ではそのように決められているにもかかわらず、政府は70バーツへの値上げを認可しなかった。そればかりか、2005年に政府はドンムアン・トールウェイの全線通行料を4輪車は20バーツ、6輪車以上は50バーツとするように求め、2006年から2007年は全線30バーツ、その後2007年から2009年は4輪車は35バーツ、6輪車以上は65バーツとさせた。

政府が通行料の改定に介入した結果、会社側はこの件を行政裁判所に提訴し、損害の補償交渉のために仲裁人を任命した。さらには、スラユット・チュラーノン政権(2006年10月1日 - 2008年1月28日)下の2007年9月12日、第3回の契約変更が行われた。その内容は、「独占契約をさらに13年延長し、2034年までとする。また、ディンデーンからドンムアンまでの通行料を20~100バーツに、ドンムアンからアヌソンサターンまでを15-45バーツとし、内閣の承認を得る必要なしに、独占契約に基いた料金を値上げする時期の前倒しを認める」というものであった。

3回目の契約変更の結果、2009年末のアピシット政権下に、政府は現在の通行料への値上げを認可した。この値上げは市民の怒りを呼び起こすものであった。

2014年7月28日月曜日

タイ暫定政権用語集

คณะรักษาความสงบแห่งชาติ
略称:คสช.
訳語:国家平和秩序維持評議会
内容:最大15人

สภานิติบัญญัติแห่งชาติ
略称:สนช.
訳語:国家立法会議
内容:最大220人(実際には200人程度か) 2014年8月設立予定

สภาปฏิรูปแห่งชาติ
略称:สปช.
訳語:国家改革会議
内容:250人 2014年10月設立予定

คณะกรรมาธิการยกร่างรัฐธรรมนูญ
略称:คยร.
訳語:憲法起草委員会
内容:36人 2014年10月設立予定

2014年タイ王国憲法(暫定版)
http://www.ratchakitcha.soc.go.th/DATA/PDF/2557/A/055/1.PDF

(メモです、、、略称が多すぎて覚えきれません)

2014年3月27日木曜日

タイ陸運局、2階建てバスの運転に3種免許を義務化へ

ソース
ขบ.จี้คนขับทัวร์ 2 ชั้นใช้ใบขับขี่ประเภท 3

3月27日、タイ陸運局長官アンサタイ・ラッタナディロック・N・プーケット氏は、パトゥムタニ県ラムルークカー郡で報道陣を招いて行った2階建てバスの傾斜試験の席で、次のように述べた。陸運局は現在、交通利用者の安全を最大限に確保するために、2階建てバスを含めた高さ3.60メートル以上のあらゆる公共車両に対し、30度以上の傾斜基準を満たすよう定めている。業者は業務で車両を使用する前に、車両の新旧を問わず、陸運局に持ち込んで試験を受けなければならない。

公共車両の傾斜試験は、2013年の検査数は1,250台、そのうち合格は705台、不合格は545台であった。内訳は、第1種公共車両(冷房あり、1階建て、トイレ付き)は188台、うち合格は107台、不合格は81台。第2種公共車両(冷房あり、1階建て、トイレなし)は92台、うち合格は65台、不合格は27台。第3種公共車両(冷房なし、1階建て)は128台、うち合格は52台、不合格は76台。2階建てバスは842台、うち合格は481台、不合格は361台。

傾斜試験で不合格となった公共車両は、調整後1ヶ月以内に再試験を受けなければならない。再試験でまた不合格となった場合は、さらに3ヶ月以内に再々試験を受けなければならない。再々試験で不合格だった場合は、さらに6ヶ月以内、1年以内に試験を繰り返す。それでも不合格だった場合は車両登録または登録延長をすることはできず、業務に使用することもできない。業務に使用すると違法であり、4万バーツ以下の罰金もしくは5年以下の懲役、またはその両方を科される。

さらなる安全性を確保するために、陸運局では2階建てバスの運転手に対する追加措置を検討中である。すなわち、2階建てバスの運転資格に関する条件の追加となる、第3種自動車運転免許の義務化を準備している。第3種免許は、最高の技量と知識を備える必要がある免許であり、牽引車両の運転が可能。第2種免許では、バスと6輪・10輪トラックの運転が可能。2階建てバスの運転免許を第2種から第3種に変更することで、運転技能と能力の向上を目指す。来月4月末から施行する予定である、とアンサタイ氏は語った。

2014年2月16日日曜日

コメ担保融資の不正手段を暴露 少なくとも20種類以上

ソース
แฉกลโกงจำนำข้าวชี้มีอย่างน้อย20วิธี

農民同盟がコメ担保融資の全不正を暴露。精米協会会長は20種類以上の不正手段を解説、不正が制度の崩壊を加速させ、国家に莫大な損害を与えたと断言。

元下院議員(ピサヌローク、民主党)ワロン・デートキットウィクロム氏は、2月16日の「失政または不正によるコメ担保融資の崩壊」と題した懇親会において次のように述べた。政府が籾殻付きコメの担保受入価格を市場価格よりも50%も高く設定したことは誤った政策だが、制度内の不正を放置したことが制度の崩壊を加速させ、国家に莫大な損害を与えた。

ワロン氏は、コメ担保融資制度はその最初から最後までのあらゆる過程に不正が存在すると指摘した。まず最初の過程では、農地登録手続きにおける不正である。さとうきび畑にしている土地を稲田として登録し、担当官もこれに加担している。また、農民が籾殻付きコメを精米所に持ち込むときに不正の被害を受ける。すなわち、コメ水分計で測定できる最高値は35%であり、これを超えるとエラーになってしまう筈なのに、農民が受け取った書類には水分値が37-38%と記録されている。

精米を精米所から保管所に送る過程では、通常ならば品質検査官(サーベイヤー)がコメを検査し、1袋あたり7バーツの検査費用を徴収する。しかし品質の良いコメを持ち込むと1袋あたり50バーツを支払う必要があるため、精米所は品質の良いコメを売却して、劣悪な品質のコメまたは玄米を保管所へ送る。このため保管所の精米は程度が悪く腐敗したコメになっている。

ワロン氏は、精米所はこの制度の中で、農民の権利を代わりに行使して利益を得ている、と言う。例えば、農民が作付証明書で20トンの稲を植えたと申告したが、実際には15トンしか作付しなかった場合、精米所は残り5トンの権利をトンあたり1,000バーツで譲ってほしいと申し入れる。そしてカンボジアやミャンマーからコメを輸入したり、劣悪な品質のコメを政府から購入して、担保制度にコメを納入するのだ。

この他には、コメ保管倉庫にも隠された不正の手段がある。腐敗したコメを保管庫に保管するときは、「取り囲み」と「穴落とし」と呼ばれる方法を用いる。これは、品質の良いコメ袋を積み重ねて周囲を取り囲み、中央の区域を空けておいて、品質が劣化したコメを中央の区画に落とし込むというものである。この方法によって、倉庫でのコメの検査は格段に難しくなる。というのも、検査のためには積み重ねられた全てのコメを搬出する必要があるためだ。

最終過程の不正は、政府によるコメの売却手続きである。政府間取引でも不正が行われている。商社へ安価に販売されており、コメ担保制度の価格は安価だが、コメは市場には販売されない。

ワロン氏は次にように述べた。「2月17日に国家汚職防止取締委員会事務局へ出頭し、インラック・チナワット首相の罷免に関する情報を提供する。首相は国家米政策委員会議長の立場にありながら、政府のコメ担保融資制度における不正を放置した」

タイ精米協会名誉会長ニポン・ウォントラガーン氏は次のように述べた。コメ担保融資制度には4つの段階があり、農民登録、籾殻付きコメの精米所への納入、精米所から倉庫への納入、そして政府による倉庫からの売却である。不正の手段は少なくとも20種類はあり、例えば水増しした作付面積の申告であれば、実際には20ライの作付なのに30ライで申告するというものである。

この他にも、農民は決められた地区の精米所に籾殻付きコメを持ち込まなければならない、と商務省は定めており、以前のように任意の精米所を選ぶことができない。そのため精米所は農民に対して有利に交渉することができ、好きなように不正を行うことができる。また、品質検査官は搬入されるコメには責任を負うが、搬出には責任を負う必要がない。そのため、購入者はコメの品質に不安を抱くことになる。

2013年10月7日月曜日

バンコク都、パーサクダムの放水によるバンコク東部への影響に警戒

ソース
กทม.เฝ้าระวังระบายน้ำเขื่อนป่าสักฯกระทบกรุงเทพฯตะวันออก - Nationチャンネル

バンコク都排水局のアディサック・カンディー局長は、バンコク都の洪水の状況について次のように語った。現在はパーサク・チョンラシットダムの放水には依然として警戒が必要である。ダムの貯水率は 108% を超えているため、今朝はラマ6世ダム、チャオプラヤーダムの水位が増加しており、ナコンナヨック県とプラチンブリ県から流入する水も増加しているため、現在はノンジョーク区、ミンブリー、ラークラバン、クローン・サームワーなどの東部地区には不安があり、水位が上がった場合には影響を受けると思われる。しかし水位がそれほど上昇するとは思えない。ノンジョーク~ラークラバン間のセンセープ運河などの東部の運河にはまだ余裕があり、クローン2水門では水位差10cmまで水門を開けて、水位の低下に努めているため。

今朝のチャオプラヤー川の水量に関しては、北部から排水される水量は約2,500立方メートル/秒で、まだ余裕がある。そのため、灌漑局が流量を管理して各河川に水を流すことで、下流に影響を与えないことは可能である。川沿いに住む皆さんに対する警告としては、この時期には水位が上がり、家屋に流入する可能性がある。特に10月15~17日は潮位が高くなり、17日は最高潮位に達して基準水位は 1.12m となるため、チャオプラヤー川の水位は海抜 2m 以上になりうる。

バンコク洪水対策センターによる 10月6日付のバンコク降雨情報によれば、過去24時間で最も降水量が多かった地区はスワンルワン区の 112mm で、他の地区は平均 35-75mm であった。予想によれば、本日の降水確率は 80% だが、昨日のような豪雨ではない。排水を担う主な運河については、ラープラオ運河、プレームプラチャコーン運河、プラウェート運河、センセープ運河の水位は 5-10cm 上昇している。これは降り続いた雨が原因であるが、現在は継続的な排水を行っており、これから降る雨に備えている。今朝の北部からの水量は 2,552立方メートル/秒、最高水位は 08:30 の 1.90m である。

2013年2月27日水曜日

パタニ連合解放組織のニュースについて

ソース
แบะข่าวเจรจา - タイラット紙

テレビ局3チャンネルのニュース番組「3ミティ」が、南部3県の独立とパタニ・イスラム建国を求めるパタニ連合解放組織(PULO)のリーダーを自称する「カストゥーリー・マコーター氏」の特別インタビューを放送したことで、口角泡を飛ばす論争になっている。

簡単にまとめると、PULOは9年間に及ぶ紛争の終結に加わるために、政府との話し合いに応じる用意があると語った。

そのために、PULOのリーダーは他の独立過激派との仲介役を務め、中立委員会を設置し、タイ政府との交渉役を務めるとしている。

インタビューでカストゥーリー氏がマレー語で語った内容によると、最終目標は3県の分離独立であり、パタニ国の建国である。

だが政府がそれ以外の案を提示するのであれば、それが例えば特別保護区の設置や、その他の内容であれ、双方が合意できる内容であれば、それに応じる用意がある。

月子母(筆者)の観察では、今回のPULOリーダーのテレビ出演には、3つの重要な意味がある。

1. PULOから政府に対する、和平交渉を前提とした宣言は、今回が初めてである。

2. インラック首相がマレーシアを訪問するわずか2日前というタイミング。

3. PULOの目標は3県の独立だけに限定せず、タイ政府からのそれ以外の提案でも受け入れる用意がある。

月子母(筆者)は、さまざまな理由によってPULOの態度が軟化していることを指摘したい。

なぜなら、現在独立派は治安部隊からの極めて強い圧力を受けている。

日々続いているテロ行為は、罪のない人々を傷つけ殺しており、テロ行為を激しく行うほどに独立派自身も危機に陥ってゆく。それがもう9年も続いてきた。独立派の方針が完全に間違っていることは何よりも明らかである。

テロ行為を止め、双方が交渉を始める時が来た。

月子母(筆者)は、PULOのリーダーがタイ政府との和平交渉を暗示したのは、これが一番の理由だと考える。

そのためには条件を引き下げ、3県独立とパタニ国建国の撤回も受け入れる。

問題は、政府がどう答えるか?である。

もし政府が盤と駒をよく見ずに飛びつくと、痛い目に遭うかもしれない。

かといって政府が興味を示さなず、和平交渉に応じなければ、せっかくの機会を逃すことになり、それも惜しい。

いぜれにせよ、まだ答えが見つかっていない、気になる問題が2点残っている。

1. カストゥーリー・マコーター氏は自分がPULOのリーダーと自称しているが、本物なのだろうか?

2. もし「カストゥーリー氏」は本当にPULOのリーダーだとして、他の独立派グループの代理として決定を下す権限を持っているのだろうか?

というのも、南部3県には多数のグループが独自に活動しているからである。

月子母(筆者)は昔の資料を調べ、「カストゥーリー氏」が以前はPULOの報道官を務めていたことを突き止めた。現在はスウェーデンに住んでいる。

同時に、「サムスーディン・カーン氏」もPULOの幹部であり、現在はマレーシアに潜伏中である。

これ以外にも、「ローサ・ブーラーソー氏」が上級幹部を務めるRMグループがあり、マレーシア国境で活動中である。

また、「Dr.ワンカデー・ジョマン」をリーダーとするブーサートゥーグループがあり、現在はこちらもマレーシアに潜伏している。

誰が本物だろう?誰が偽物なのだろう?まだ答えは見つからない。

筆:月子母

訳注:3ミティのインタビューは、次のリンクから観ることができます。
1回目のインタビュー
2回目のインタビュー